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以前、外人タレントの一人が「日本は共産党が政権を取って初めて政権交代」といっていたように思う。素人が聞くと、「それって革命じゃん」といいたいところだろうが、日本共産党は以前から二段階論を採っているので、まず民主連合政権によって民主的な議会ができ、しかるのちに、社会主義革命へと向かっていくことになっているので、得票が51%になったからといって革命ではない。
つまり、共産党はさしあたり、共産主義を実現する党であるというより、どこかの手先となって国を売ることも誰かの利権のために動くこともない、国民のための政治を目指すことになっている、普通の民主主義政党にすぎない。 従って、まず利権と政治を切り離す政治は、企業からの献金を受けない日本共産党が中心になるのが筋だし、本来政治に不満のある層を取り込むのは宗教団体ではなく日本共産党でなければならない。そういう党にしか「構造改革」などはできないはずである。 この党はここまで正論を述べていながら、どうして支持されないかというと、その排他性と、社会主義・共産主義を目指すこと、さらにその党名にあるようにおもう。 1. 排他性について 選挙においては他党と組むことは以前から非常に少ない。社共共闘(なんと、これがかな漢字変換されないとは!)がいわれた時代もあったが、野党の主流にならなかった。今になって民主党と組むとなるといっそう難しい状況だ。しかし、以前から「ここで共産党が候補者を引っ込めていたら、少なくともこの自民党の候補者が当選することはなかったのに、自民党を助けているのかな」と思う事態は結構あった。最近で唯一の例外といえるのが札幌市長選挙だろう(共産党が意識的にやったのではないらしいが)。どんな理屈をこねてみても始まらない、共産党が候補者を立てないだけでなんと世の中は変わることか。 2.社会主義・共産主義を目指すのはやめる 社会主義・共産主義を目指すとなると、支持を得るのは非常に難しいだろう。共産主義がどんな社会であるかということ自体、マルクスやレーニンでも明確な像をもっていたとはいえない。漫画家の青木雄二が以前どこかで書いていたように、いずれ日本は共産主義になるだろう、という程度のスタンスでいればいいだけのことである。 どういうことかというと、たとえば共産党が上に書いたような選挙戦略で、ほとんどの選挙区で独自候補の擁立をやめ民主党を勝たせていたとしよう、そうすれば、いまの公明党のように政権党にある程度の影響力を持つことができる。それで、世論としてはイラク戦争は元々否定的だった日本だから、少なくともアメリカへの資金援助をしない、ということは可能だろう。アメリカ軍は日本の資金的手当がなければ世界の80%の配備が困難になるという軍事評論家もいる。そうなれば、アメリカが必死になってあちらこちらでやっている軍事力による政権転覆はできない。それが何年も続けば、世界はずいぶん変わったものになっていくだろう。民主的な、あるいは社会民主主義的な体制がどんどん広がっていく。そうなれば社会民主主義が当たり前の世界になっていくことだろう。 その先に世界の人々が、新たな社会主義の可能性を見いだせばそれはそれでかまわないし、そうではなく資本主義を基調としつつ、経済を民主的にコントロールすればよい、という考えならそれでもかまわない。その時にもし社会主義が選ばれなければ、最初からその程度の理論だったというだけのことだろう。きっと選ばれる、と思うのであれば、それを確信して、自信を持って選挙で妥協すればいいのだ。 そういうことをしたとしても共産党の議席が減ることはないだろう、勝てる見込のあるところまで候補者を降ろす必要はないし、比例代表については頑張ればいいのだ。 3. 共産党という党名 そして、共産党という党名もさっさとやめる。ボリシェビキも確か4月テーゼの段階では共産党ではなく「社会民主主義労働者党」ではなかったか。ローザ・ルクセンブルクも共産党という党名には時期尚早といっていた。 ルクセンブルク先生がこうおっしゃっているのにそれをさしおいて、「共産党」とはおこがましい。上に述べたとおり、共産主義とは別に目指すようなものではなく、なるとすればなる、という程度のものだ(ここは実は非常に論争の多いところらしい。決定論だとすれば、社会主義は歴史の必然、だから革命家は何をしても無駄ということになる。非決定論なら、じゃあマルクスのいう歴史観は何なのだ、となってしまう。長くなるのでやめる)。それらをやめて、すっきりと「民主連合」などの団体名で再出発する。かりに社会民主主義的な世界になったときにどうしても明確に共産主義を目指したいならその時に再結成しても遅くない(というより、この道がおそらくいちばんはやい。ただし、この段階でやっと「社会党」くらいにしておいた方が穏当でいいと思う)。そしてこのことはあなた方の共産党の伝統を汚すことにも何にもならないだろう。 共産主義には明確な像がない、と書いたけれども、以前のユートピア的、空想的な社会主義と科学的社会主義といわれるものとの違いは、貧困を生み出すメカニズムを解明し、どこを問題にすればいいかを明確にした点であるはずである。明確な道筋、戦略を持たなければ勝てないのではないだろうか。 ここで必要なのは、構造改革と歴史的妥協だ。イタリアでは難しいかもしれないが、日本ならなし得る。 そして、もっと大事なのは、日本共産党が変われば、上で述べたような道筋で、下手をすると世界が変わるかもしれない、世界の、人類のキャスティングボードを握っているかもしれない、その責任感を自覚してもらいたいと思う。 ※ 再度言うが、日本共産党は、共産党の党名を捨て、共産主義の看板を捨てよ。党名は民主連合でも、仲良し党でも何でもいい。
by luxemburg
| 2005-09-07 19:48
| 右翼とか左翼とか
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