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by luxemburg
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よく、古代社会などを描いた話などで、「山の神様の怒りを鎮めるには、若い娘をひとりいけにえに出すしかない」。そこで、村人は、しぶしぶ美しい娘を、誰も近付かない、竜の住む山の中腹に置いてくる。もちろん娘はかえって来ない。こういう言い伝えが各地にあるということは、それを生み出す何らかの実体があったと考えられる。本当に神様がいると人々が信じていたか、真実を知っていたが直接言えずにそういう物語に託したか、だろう。
常識的に考えて、そこに竜の姿をした神はいないだろうし、いたとしても美しい娘を食べる習性を持つことはないだろう。政治権力者が人々を山に近付けないようにしておき、若く美しい娘を監禁し、文字どおり彼らのいけにえにしていただけだろう。 現代で考えれば、リーダーにこんなことを言われて信じる民衆というのはどこまでバカなんだ、という笑い話でしかない。しかし、外部から見たらどう考えてもいかがわしい宗教指導者に帰依したり、本当は別人なのに抗日運動の指導者だったと信じ、その親子を二代に渡って国のリーダーとしていただいているおめでたい国民もいる。 つくづく、こんなにあからさまなダマシも内部にいると気がつかないのか、とあきれはてる。 民営化すれば税金の無駄遣いが減り、さらに財政に貢献するようなまったくのウソがまかり通っている。なんのことはない、山の神の怒りが鎮まらないという全くのウソに基づいて、いけにえを差し出せといわれているだけのことである。 反対すると、みなが「改革の痛み」に耐えているときに、特定の利益集団の代表であるかのようにいわれる。それは「他の村人が娘を差し出しているのに、自分だけ逃れようとしているんだ」と非難されるのと同じである。 今年免れる村人は、来年はあなたの娘が狙われるだけである。だから、「自分の娘じゃないから反対しない」というのはバカだ。去年娘を差し出してしまった人は、もう大丈夫と思ったら何年か後に可愛い孫娘に白羽の矢が立つだけである。 いいやりかただ。一度に全ての村娘を餌食にしようとすると失敗する。 よくある話だが、 「遠くの娘がねらわれたとき、知らない娘だったから反対しなかった。近所の娘がねらわれたとき、うちの娘がねらわれたわけではないから反対しなかった。次に家の娘がねらわれたときにはだれも反対してくれなかった」 (有名な話なので、何をもじったかおわかりと思うが一応参考になるサイトを紹介します(ここは、明治維新あたりの歴史認識が非常に正確で、司馬史観に立っていないところがいいです)。 もう一つ。 人間が歴史から学んだ最大の教訓、それは 人間は歴史から学ぶことはない ということらしい。 ※ 追記 で、具体的に何が起こっているのか、ということについては書き出すとものすごい時間がかかるので(すごく忙しくてブログがいつも手抜きになっています、すみません)、とりあえずあちこち読むとよいと思いますが、 最近では、トドちゃんの風刺画さんなどが、けっこう私の考えていることに近い、というか、このあたりが、みなさまの共通の理解、土台という感じがします。ここで書かれている石井代議士の事件は日本に突き刺さったトゲともいえるものでこれが抜ければ、「おくされさま」だった日本が「名のある川の主」に変わるかも。 ほかにもこちらも私愛読のブログです。
by luxemburg
| 2005-09-06 22:22
| 郵政とその周辺
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