とりあえず、のブログです
by luxemburg
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"善は急げ"の反対は"急がば回れ"。"三人よれば文殊の知恵"の反対は"船頭多くして船山に登る"・・・ひとつの諺というのは同時に逆の諺も有名であることが多い。あることが正しくてもそれをやりすぎるとかえってよくないのは当り前で、だから逆のことわざが伴うのだろう。
ところが・・・"バカは死ななきゃ治らない"の反対はすぐに思い浮かぶだろうか。ことわざというほどのものでもないが、これは意外に真理をついているから、なかなか反対の意味のことわざは出てこない。それは、"男子三日会わざれば刮目して見よ"で、私が聞いて答えた人はほぼ皆無。刮目して見たくなる例は身の回りでまずない。ほとんどのバカは死ななきゃ治らないのだろう。 さて、この前振りでおわかりの通りの久間防衛大臣、いまや安倍政権を窮地に追い込む魔物、つまり窮魔防衛大臣といったところだが、みなさまも既にあちこちでお書きで出遅れたため、こんな書き出しにするしかない照れ隠しを笑ってくだされ。 最初にいっておきたいのはこのおじさんの発言は、失言でもなんでもない。売り言葉に買い言葉で"公約なんか破ったってたいしたことではない"とか"人生いろいろ"などと口をついて出ちゃったのではなく、講演で自分の話の組み立ての中で選んだ話題であり、その上、非常に回りくどく細心の注意を払った上で発言されていることがわかる。本当の本音である。その意味では柳沢のおじさんと同じで、手に白い粉を塗りたくっても、やっぱり黒いところが見えてしまう・・・。 ◆ 久間発言自体の問題点 6月30日、千葉県柏市の麗沢大学で講演し、アメリカの長崎原爆投下について、 「原爆を落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないなと思っている」 前段はそのとおり。しかし、後段の「あれで戦争が終わったんだ」というのは、この人の歴史認識を疑わせる。 実際には東京大空襲を始めとして、アメリカ軍による大量虐殺は何度も行われており、日本政府は別に何万人殺されようと殺そうとまったくなんとも思っていない。当時の政府にとって大事だったのは「国体」つまり天皇の身の安全を確保する幕引きをどうやって行うか、だけだった。だから原爆投下と戦争集結とはなんの関係もない。原子爆弾によって悲惨な戦争が幕を閉じた、というのは戦後アメリカが流した、ただの洗脳であって、これこそ占領軍万歳の自虐史観である。防衛大臣が"自虐史観"とは右翼の人達も、これはちょっと許せないところだろう。 ちなみにアメリカに留学してきた子は結構アメリカの高校で、アメリカが最初に原子爆弾を作って実用化し、実際に悲惨な戦争を集結させた誇るべき国である、と習ってくるらしい。日本の教科書検定も歴史を捏造するが、アメリカも似たようなものである。 あの当時、戦争集結は時間の問題だったが、決定打となったのはソ連参戦である。ありえないことに、日本政府はソ連に講和の仲介をしてくれるよう打診していたのであり、その相手が攻め込んでくることになって、あわてて終戦に向かったのである。特に関東軍の司令部が敵前逃亡し、国民をソ連軍の攻撃のもとに差し出したものだから、一気に終戦となった。もし久間が戦争が終わったことで頭の整理をしたいのであればソ連が参戦してきてしょうがないな、といわなければならないことになる。 「アメリカを怨むつもりはないが、勝ち戦なのに使う必要があったのか」としつつ、「国際情勢とか戦後の占領状態からいうと原爆投下も選択肢としてはありうる」 核兵器は使う必要のあるときに使いなさいね、ちょっとタイミングが悪かったわね〜。この人間が防衛大臣とは、なんとかに刃物そのものである。 そもそもこういう問題ですらないが、いちおう戦術レベルの問題とだけ考えてもアホである。勝ち戦であっても、可能な限り自国の将兵が死傷するのを防ぐのは当然であり、相手の被害だけが大きい兵器を選択するのも当然である。 もしそんなこともわからないとすれば、この防衛大臣は極めて無能か、将兵を消耗品と思っているということだ(両方だろう)。 ◆ 日本人をつかった生体実験を「しかたがない」 原爆を使う必要、ということ自体、この人が「一定の状況では使う」ことを前提にしているものであり、極めて無能で将兵を消耗品と思っている人間の認識としてはうすら寒いものがある。 アメリカは人体実験として原爆を落し、その効果を日本人を実験動物とすることによって確かめようとしていた、ということは明らかになっている。米軍の医師団が入っていってもそれは治療のためではなく原爆の効果を調査するためであり、むしろ治療については妨害していたことからもわかる。 実験はもっと前から計画されていた。以前、人に聞いてみて、いまだにこの洗脳に毒された人がいるのを知って驚いたのだが、それは 奈良・京都が空襲を受けなかったのはアメリカが日本の文化財を保護しようとしたから というものだ。 実際には、アメリカは京都を最有力の原爆投下目標として温存しておいたのだ。米軍は都市爆撃のリストを180都市について作成し、東京、大阪を始めとして例外なく空襲が行われた。ただ、軍上層部の命令で「京都・広島・小倉・新潟」は除外されていた(後に小倉は外れる。京都も7月末に外れ、長崎が入った)。なお、爆撃は180都市のうち60番目くらいで終戦を迎え、奈良が爆撃を免れたのは80番めだったからにすぎない。 戦後、文化財保護のロバーツ委員会委員である知日派のウォーナー博士が京都、奈良を守ったのだという宣伝を占領軍が最大限利用したが、ロバーツ委員会というのは枢軸国に"奪われた"文化財の取り返しのための委員会であり、日本の空襲とはなんの関係もない(以上、岩波書店「世界」1993年5月:吉田守男「京都・奈良はなぜ空襲を免れたか」より)。 つまり、原爆投下は投下のはるか前から日本人を使った人体実験として予定され、実行されたものであり、原爆投下の戦術上の「必要」などを軍事的に論じていること自体が問題だ。 ◆ 後の言い訳も醜い 久間氏は講演後、朝日新聞の取材に対し、「核兵器の使用は許せないし、米国の原爆投下は今でも残念だということが発言の大前提だ。ただ日本が早く戦争を終わらせていれば、こうした悲劇が起こらなかったことも事実で、為政者がいかに賢明な判断をすることが大切かということを強調したかった」と発言の意図を説明した。 原爆投下は残念・・・ですか。そこまでしなくてもよかったのに、その程度のものなのか。 どこをどう聞いても、為政者の賢明な判断などというものは出てこない。安倍さんは「言葉が足りず誤解」というけれど、いろんな価値判断をあげながら丁寧になされたこの発言で「言葉が足りない」ということはありえない。むしろ足りすぎて次々ボロが出ている感じだ。 安倍首相は同日夜、遊説先の香川県丸亀市での会見で久間氏の発言に関して「自分としては忸怩(じくじ)たるものがあるとの被爆地としての考え方も披瀝(ひれき)されたと聞いている。核を廃絶することが日本の使命だ」と述べた。 安倍政権の患部から膿が出て「ジクジクしている」の間違いじゃない?核を廃絶することが日本の使命などといってみても、この発言についてのフォローにも何もならない。それにしても口先だけ「使命」とかいうのが好きだ。 支持率が危険ラインに入った内閣の使命は退陣だけ、勘違いしないようにしてもらいたい。誰もあなたに使命なんて与えていない。 さらに、即座に撤回、"謝罪"しながら謝罪にもなっていない。 久間防衛相は1日、長崎県島原市内で記者会見し、米軍による日本への原爆投下を「しょうがない」と発言したことについて「被爆者を軽く見ているかのような印象に取られたとすれば、大変申し訳なかったという気持ちだ」と陳謝し、発言を事実上撤回した。 久間氏は会見で「しょうがない」発言について「例えとして原爆の話までしなくてもよかったと思う。原爆(投下)を認めた、『しょうがない』と言った、と受け取られてしまったところに、今思うと私の説明の仕方がまずかったんじゃないかという気がする」と釈明した。 軽いとか重いとかの問題だろうか。それとも選挙前だから、人間としてではなく票田としてだけ見ているのか。それなら軽いとか重いとかの意味もわかる。 原爆の話をしたのが問題なのではない。例えとして原爆の話、大いに結構である。それをどう語るかであなたの人間性や能力があらわれるのである。 そのうえで「核廃絶、広島、長崎に落とされた原子爆弾は許せない、という気持ちは微動だにしていない」と強調。「敗戦が迫っている時に、原爆を落とすなんておかしい。米国は何でそんなことをしたのか、という気持ちは今でも強い」と語った。 まだ言ってるよ。敗戦が迫っているときに、なんでそんなことをした、という必要性の問題で、状況によっては落とすということでしかない。今度落とすときには戦争の始めに落としてねという意味か。 原子爆弾は必要があれば使ってよろしい、もちろんクラスター爆弾大いに結構、という気持ちは微動だにしていない。国民が虫けらであるという気持ちはいまでも大いに強い、ってことね。 安倍首相は1日、都内で開かれた政権公約(マニフェスト)検証大会での党首討論で、久間氏について「防衛相として、核廃絶にこれからも大いに力を発揮していただかなければならない」と述べ、責任は問わないとの考えを示した。そのうえで「国民に誤解を与えるような発言については厳に慎んでいかなければならない」と不適切な発言であったことを認めた。 え、こんな人が大いに力を発揮するの?うそでしょ?核兵器は必要なときに使いましょうという人が力を発揮するんだから、これはどうするかわかっている。核の宣せ威攻撃をしましょう、ということにしかならない。だから、国民に誤解をあたえるなんてとんでもない。国民はよ〜く理解しました。誤解をあたえるではなく、 国民にこの政権の本質を理解させるような発言については厳に隠さなければならない のまちがいでは? やはりバカは死ななきゃ治らない。政界を去り、普通のおじさんとして、楽しく余生を送ってほしい。
by luxemburg
| 2007-07-02 18:13
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