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まあ私が書いているようなレベルの低いブログでは、賛成してくださる方は一つ付け加えるという観点から勉強になることを書いてくださるが、反対論はレベルの低い反論しか来ないため、いつもがっかりしている。
Commented by 削除かな? at 2006-12-28 00:23 x 死刑廃止の意見については読ませていただきましたが、結局は死刑制度は遅れた文化、恥ずかしいことだから止めるべきと読み取れます。 死刑制度は、被害者の応報感情にあるのではなく、基本はルール違反に対するペナルティーでしょう。 今、日本では死刑は殺人以上の犯罪に適用されています。 これは殺人というルールー違反に対するペナルティーとして相当程度と判断されているからでしょう。 死刑制度が望ましいとはいえませんが、今はそれに変わるペナルティーがないため仕方がないと思えます。 まあ、これは、殺人に関わることがない者の意見ですが。 あなたは、人を殺しても、自分は生き続けたいのですね。 まず第一文、恥ずかしい、遅れた制度、というところ。 死刑は、人の命を奪うのである。これがいけないのは「恥ずかしい」などのレベルではない。死刑に言及した最初のエントリーでも一切そんなことは書いてないが、この段階で論外の意見である。まあ、刑務官の意見として「死刑は恥ずかしい制度」ということは書いているから、まあこの点はいいとしてもよい。 第二文、死刑は応報感情ではなくペナルティー?何なのだろうか。前の文の「恥ずかしい遅れた制度と読み取れ」ることと、どうつながっているのか。もちろん第一文で話が完結しているのなら話題をかえてもかまわないが、問題提起だけして、だから何という部分がない作文では、小学校も中学年になったらアウトだろう。 で、「死刑制度は被害者の応報感情にあるのではなく、ペナルティー」という意見だが、なんという低レベルか。つまり、行為者に一定の苦痛を与えることによって社会の秩序を保つのが刑罰のしくみであり、ペナルティーであるのは当たり前のことである。問題はなぜその苦痛を与えることが正当化されるか、というところにあり、そこで目的刑(教育刑もしくは改善刑その他)か、応報刑かを問題にしているのである。死刑の場合、相手を殺してしまう以上教育改善の目的は達成できないから、応報しかない。応報ではなく教育だ、というのなら議論にもなるが、応報ではなくペナルティーだと主張するのはちょうど、関東か関西か議論している中に入ってきて、関東じゃなくて日本でしょ?というに等しい。 ただ、何とか善意に解釈してあげれば、カントのように、刑罰に意味や目的を求めず、そのまま反動としての刑罰があるべきだ、たとえば殺人に対しては死刑、という考え方はないではない。これを「ペナルティー」と呼んでいるのであれば、この文は意味が全く通らないでもない。つまり応報「感情」なんて考えず、殺人に対しては、はい死刑、と。 ところが、次の文ではそれに代わるペナルティーがない、という。ということは、カントの同害報復でないことがわかり、秩序維持の一手段として刑罰システムの設計を考えていることになる。 では具体的に「他にない」というのはどういうことなのか。多くの先進国では殺人に対して死刑の他にない、とは考えられていない。死刑を廃止して凶悪犯罪が減っていることとか、犯罪者の心理を分析して死刑があれば思いとどまるという関係にないことも明らかになってきており、何とか他の手段を模索しようとする努力が行われている。 この人が死刑の他にない、というのは実際にはその代替案を考えることを拒否し、自分の中で死刑死刑と叫び続けているに過ぎないのではないか。 結局出てくるのは、「死刑が妥当」「死刑しかない」この絶叫ばかりである。以前も書いたが、もし強姦罪に対して男性の局部を切り取る刑があれば、その刑しかないと叫ぶだろう。そういう刑がなければ、「3年じゃ軽い、5年だ」ぐらいしかいわない。こういう人は、お上が作った制度に合わせて絶叫するだけだ。何が恥ずかしいかといって、人間としてこういう存在が一番恥ずかしいと私は思う。 最後の二文が興味深い。自分は殺人に関わることのない人間であり、私は人を殺して生き続ける人間だそうである。こういう前提に立って議論を進めることの無意味さを知るときがくることを祈りたい。 以前、村野瀬玲奈さんに教わった話だが、フランスで死刑廃止演説を行ったバダンテールが弁護士として関わった犯人は、その犯罪の前には他の事件の犯人に対して死刑、死刑と絶叫していたそうである。彼もまた「殺人に関わることがない者の意見ですが」とフランス語で言っていたのだろう。 死刑を野蛮という人は、人を殺すことを憎む。死刑を必要という人は、人を殺すことをときどき憎み、ひんぱんに愛する。 luxemburg「心のすべり箱」より 玉手箱にしたかったけど最近滑ってばかりなので。 おお、いまお玉ブログを見たら、お玉さんのところにも低レベルな意見が。 「現在の日本で死刑廃止だけを発言すると、被害者の命より今生きている犯罪者の命が大事というようにしか聞こえないので、廃止は理解できないですね。国や司法が信用できなくなるレベルにくれば、再検討する余地はありだと思います。 世間体(別の国が廃止とか)で決めるのではなく、被害者を中心に考えてほしいものですね。既にこの世から絶たれてしまわれているのですからね。」 この現在の日本というところが、私のところに来た低レベルに似ている。死刑廃止の流れを見てうろたえている様子がわかって面白い。 「被害者の命を大切に」?加害者を殺せば被害者が生き返るのか? 国や司法が信用できなくなるレベル・・・信用してるんだ~。イリノイ州では、再検討したら死刑囚にものすごい誤判が見つかっている。日本にはないって?おめでたいわね。すでに再検討する余地どころか再検討しない余地がないんじゃないかな。 別の国が廃止、というのが「世間体」であるところが何というおそまつである。隣の畑が農薬を撒かずによい収穫を得ているという実例があったら、できれば必要悪である農薬は撒かないほうがよい、といっているのである。世間体を気にして撒くなといっているのではない。 第二次大戦の経験で、人権は特に国際慣習法を通じて国際化する傾向(芦部先生はこの観念がとてもお好きなので、ちょっと読んでみられるとよいでしょう)にある。最初はジェノサイドの禁止、人身売買・・・。ある国の人権侵害がその周辺国に何をもたらすか、ということが明らかになった戦争を人類が経験したこともある。再三にわたって、日本が死刑を続けていることについて特にヨーロッパなどからは厳しい警告が来ている。それを世間体などといっているようでは、欧州の天地は奇怪なりなんていいながら、孤立と破滅のコースを歩むことになる。
by luxemburg
| 2006-12-28 17:59
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