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by luxemburg
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九条の会



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お嬢様、玲奈と一緒に死刑を考える----(7)
 秋の気配が日に日に強まる西園寺邸のイングリッシュガーデン。死刑廃止について人々の知恵を求めて出た行脚から帰ってきた麗子、玲奈、ばあやが、イングリッシュティーを囲んでいる。玲奈は本場の韓国料理を食べ損なったことをまだ不満に思っているようである



玲奈: (独り言)食べ物の恨みは恐ろしいのよ、ハムニダさん。(ぶつぶつ。)

麗子: (聞こえないふりをして)たいへん興味深い行脚でしたわね、ばあや。

ばあや: はい、お嬢様。予定ではもっと短いはずだったのですが、結局いろいろな方々のところに無理やり押しかけてしまいましたから呼んでいただきました。世の中にはいろいろな経験をしていろいろな考えを持ったいろいろな人がいることもわかりまして、お嬢様にはたいへんよい社会勉強になったのではないかと思います。

麗子: それに、行く先々のみなさんのところでは、おおぜいの読者の方々から、いろいろな角度からのコメントや情報もいっぱいいただきました。それもうれしいことでございますわ。

玲奈: ええ、本場の韓国料理は食べられなかったけど、私も死刑について改めて深く考える機会になったわ。ロベール・バダンテールの演説は、結局、死刑についてのあらゆる論点を網羅しているのね。フランス革命で身分制度がなくなって初めての国民議会から数えて190年の思想と政治の歴史の結集なんですね。

麗子: 玲奈おねえさまって、上品なようで食い意地がはっているのね。お嬢様のようなふりをしてるけど、本性バレバレだわ。演説で、死刑廃止の思想の歴史を振り返るときに、さまざまな思想や主義主張や寛容さの伝統を引き合いに出して「フランスは偉大です」と言ってますわ。これって愛国心なのかしら。

玲奈: そうとは言っていませんが、そういうことになります。それでいて、西ヨーロッパで死刑を廃止した最後の国になってしまったことの理由をていねいに振り返っています。

ばあや: 死刑廃止を唱えた思想家や政治家や作家は多かったのです。「死刑は、人間が2000年以来考えてきた最も高邁なもの、人間が夢みている最も高貴なものの対極にある」というこのジャン・ジョーレスの言葉、手が届かない理想を語ったようでありながら、結局その思想が実現したわけでございます。

玲奈: 死刑に犯罪抑止力がないこともこの演説ではずいぶん語られています。死刑があることが人心を荒っぽいものにするということを納得しました。「死刑廃止のためには、兵器からの平和だけでなく、心の平和も戻ってくる必要があった」という言葉は、世の中の好戦的な雰囲気が平和を遠ざけ、戦争を作るのだ、ということを示唆しているようにも思えました。深読みしすぎかしら。

ばあや: いいえ、玲奈さん、それはばあやにもよくわかります。戦争も死刑も、平和や犯罪防止のために戦っているようでいて、実は逆の結果を生み出すということなのでございます。

麗子: でも、犯罪抑止力を信じて死刑に賛成する世論も根強く、政治家たちもそれを無視できなかったのですね。

ばあや: はい。たとえば、死刑とはテロリズムの脅威と闘う最後のよりどころだ、という考え方を紹介し、その誤りについて説明しています。「死刑とはテロリストと考えを共有することだ」という趣旨の話は、落ち着いて考えたい命題でございます。

玲奈: バダンテールは、死刑廃止こそが民主主義の基本原則にかなうのだという考えを根底に持っていますね。死刑に賛成する被害者遺族の気持ちに理解を示しながら、死刑にまつわる誤解をときほぐし、死刑廃止の意義を一つ一つ積み重ねていく言葉遣いの格調の高さは、政治という営みが本来持つべき高貴な精神そのものだという思いを強くします。

麗子: 演説では、凶悪な犯罪者のことにも触れていますわね。でも、犯罪が凶悪であっても、それを社会として引き受けようという思想を選ぼうというのですね。犯罪の不幸と闘うのは死刑によってではないということも、じっくりと考える価値のある命題だと思いましたわ。

ばあや: 死刑と人種差別が密接な関係にあること、死刑とテロリズムの表裏一体の関係、死刑の持つ全体主義的本質、どれも死刑制度の持つ反民主主義的な本質をついております。

麗子: 考えれば考えるほど、死刑への疑問は深まりますね。

玲奈: 無実の者を死刑にしてしまう不正義も疑問の一つですけど、それを「社会全体つまり私たち全員がまとめて有罪になる」と言っているのも重い表現です。

麗子: 死刑の代替刑や戦時の法体系についての話も出てきます。でも、死刑廃止という「道徳的原則の選択」と、法律の中での体系的な刑罰規定の作成の話を分けているのにも考えさせられました。

ばあや: それも、この演説の中でさりげなく重要な点でございます。民主主義の原則を原則としてどう確立するかということを、たとえば「命の軽視や死をもたらす暴力が共通の法になる」戦時の法体系で崩してはいけない、という思想があるような気がいたします。

麗子: なんだか、死刑廃止を超えて、広がりのある多くの示唆が含まれているように思えてきました。この演説、もっと読んでみたいと思います。

ばあや: 結局、バダンテール演説の翌日、国民議会での採決の結果は、与党の社会党、共産党の議員がほぼ全員賛成、野党の保守2党からも、約4分の1の議員が賛成し、賛成票363票、反対票117票と、賛成票は4分の3を越えました。上院でも、賛成160票、反対126票で死刑廃止法案第一条「死刑は、これを廃止する」は可決されました。個人の自由な意思に基づいて考え、良心の議論を積み重ね、党議拘束をかけずに採決したこの結果には民主主義の重みを感じます。

玲奈: しかも、バダンテールは演説を終えるにあたって、「この瞬間、ほかのどんな瞬間にもまして、私は古来の意味において、最も高貴な意味において、つまり、『奉仕』という意味において、私の大臣職の責任を全うしたという気持ちです」って言っています。何気ない形式的なあいさつだと思ってはいけないと思います。権力者が自らの権力を手放し、人民からみた民主主義を確かにするこの死刑廃止を「奉仕」という意味合いでとらえているのですね。

麗子: ええ、それは私も感じました。なんだか日本はそれと反対のように思えてしまいます。

ばあや: はい、お嬢様。政治家の本来のあり方は「民主主義への奉仕」でなくてはなりません。

玲奈: そうそう、行脚から帰ってきて、もっといろいろ調べたら、フランスにこんな歌があることがわかりましたわ。

麗子: あ、この2001年10月のコラムに紹介されている「殺された殺人者」ですね。


殺された殺人者 (L’assassin assassine)

詞: ジャン=ルー・ダバディー
曲・歌: ジュリアン・クレール


ある日、私は家にいて
歌を作りたい気持ちだった
窓際で作りたかったのはたぶん愛の歌
私が愛し、私を愛しているひとが
ジョーノの本を読んでいた
魔法の仕事台の上にかがみ込むように
私はピアノの上に身をかがめ
言葉を私の曲に合わせようとしていた...

まさにその朝、サンテ刑務所で
一人の男が... 一人の男が処刑されていた...
私たちはといえば、こんなにも平穏なまま
町に心をときめかせ
午後の終わりに
貞節な人影が少しずつ外に出てゆき
静かに夜を織りなしてゆく
今日のように...

刑吏たちは抜き足差し足でやってきて
その男に静かな調子でこう言った
「今日が処刑の日だ... もう時間だ」
半裸の男は
顔色も変えずに刑吏たちを見た
「手紙を書きたいか?」
男は「はい」と言ったが、書くことはできなかった
ただ煙草を一本吸っただけ

私の作品の上に夜の帳がおりていた
しかし言葉は闇の中にとどまったまま
私を許してほしい
愛の歌を書くことができない日もある
だから私はピアノの蓋を閉めた
この歌詞と曲は誰のものでもない
そして私はこの卑劣漢のことを思った
舗石に流れたその男の血を死刑執行人が洗った...

私は何の代表者でもない
一介の音楽家にすぎない
それはよくわかっている
このことを言うために私はかっこうをつけることはしない
皆さん、人殺しを始めるのは殺人者です
しかし社会が人殺しをまた繰り返しているのです
死刑囚の血も人間の血...
流されるのはまた人間の血なのです
執行には手順がある、笑い事ではなく
その男に二言三言の言葉をかけ
酒を少し飲ませる
男に話しかけ、断頭台に縛りつけ、顔を布で覆う
中庭に据えられた大きな黒い天蓋にさえぎられ
男の死は人々から見えなくなる
そしてその後、首が切り落とされる時間は
一瞬で終わる

一曲の歌、たぶん愛の歌の代わりに
沈黙を歌う許しを私が皆さんに求めるのは
この思い出が頭から離れないから
刃が落ちた時
死刑に処せられた側から死刑を執行した側に罪が移った
今晩、私の記憶の中に眠るのは
殺された殺人者
殺された殺人者

(1980年)


麗子: 作詞をしたこのダバディーさんって、どこかで聞いたような名前ね。

玲奈: ええ、日本のサッカー代表チームの監督をつとめたことのあるフィリップ・トルシエの通訳をしていた フローラン・ダバディーのお父さんのようです。

麗子: それにしても、フランスではこんなストレートな歌が、観客の前で歌われて、たいへんな反響を呼んだみたいですね。「刃が落ちた時、死刑に処せられた側から死刑を執行した側に罪が移った」なんて、すごい歌詞。誰も知らなかった未発表のこの歌が初めてテレビ番組で歌われた時、テレビ局に問い合わせの電話が殺到したのね。そしてコンサートの曲目にも組み入れられて。その頃、まだ私は生まれていないけど、その光景を想像すると、フランスの歴史が人間の尊厳と良心によって動かされた瞬間なのかもしれないわね。

ばあや: このサイトを見ると、このジュリアン・クレールっていう人、特に社会派歌手ではなくて、ラブソングの多い、女性に人気のイケメン歌手のようでございます。でも、いろいろな人から成る聴衆の好みの最大公約数に合わせなければいけないでしょうに、死刑賛成派の観客の支持を失うことすら覚悟で、少数派の思想を擁護する歌を歌って喝采を浴びるなんて、なかなかできることではございません。それに、ちょっといい男でございますし

玲奈: このコラム読むと、このジュリアン・クレールさん、インタビューに答えてバダンテールのことも話してますね。この歌は歌われるべくして歌われた、ということがよくわかりました。で、この歌、「時代の風にのって フランスを変えた30の歌」というこの本でも紹介されていたんですのね。

麗子: この歌が初めて公衆の前で発表された2年後の1981年にフランスで死刑が廃止されたのなら、たしかに、この歌もフランスの世論を死刑廃止の方に押すはたらきをしたのかもしれませんね。小さい声でも、磨きながら積み重ねていくことが大切、ということかしら。

ばあや: 理論を深めることも大切ですが、「人を死刑にすることは人の血を流すことであり、それは罪なのだ」という単純なことにも思いをはせたいと思います。

玲奈: 麗子さん、ばあやさん、いろいろどうもありがとう。では、私はこのバダンテールの演説の全文訳を置いて、そろそろおいとまいたしますね。また別の機会にみなさんのところを一緒におたずねしましょう。今度は、今回おじゃましなかった新しいお仲間のところにも行けるといいですわね。

by luxemburg | 2006-10-15 15:57
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