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by luxemburg
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九条の会



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死刑の現場とは--いただいたコメント、メールより
 先日、大塚公子著「死刑執行人の苦悩」を引用しつつ、死刑執行の現場についての記事を書いたら、大きな反響をいただいた。
 死刑の問題は微妙で、生きようと打つ心臓を止め、生命を人の手で絶つ、この事実を前にして、私も含めて多くの人が迷っているのである。たとえば、先日のロシア学校占拠で子供を含む300人以上が犠牲になった事件、あれで死刑じゃないのか、というのは死刑賛成、反対いずれの側からも驚きで、松岡洋右ではないが「欧州の天地は複雑怪奇」と言いたくなるほど。私も実は正直なところ複雑な気分だ。
 もちろん言い分はあろう、「あの事件はむしろチェチェンの人が犠牲者で、ロシアの政策があれを生んだんじゃないか。同情すべき点がある」というご意見も以前いただいた。しかし、ロシアの国家権力の論理としてそれはあり得ない、というよりもしそうなら、その当否は別として国家権力としてはより厳罰で臨むことになるはずだ。



 目の前の報道は、「凶悪事件が増えている、治安が悪化している」そういうメッセージを送ってくるが、マスコミが一方的に流してくる情報だけで考えるのはこわい。そういう中で、刑務官がどう思っているのか、という点にスポットを当てた記事を書いた。何よりも驚いたのは、こんなこと「誰も知らなかった」という点である。私自身もこの本を読んで驚きの連続だったし、死刑賛成派の方々も非常に動揺しておられるのがよくわかる。実は、私が書いたのはこの本のごく一部であり、本当に重要なメッセージはこの本の中に非常に示唆的に含まれているので、ぜひご一読されることをおすすめする。

◆ 情報の古さ(おことわり)
 いくつかご指摘をいただいた中に「この本は眉唾である、現在ハンドルを引いて執行するのではなく、複数のボタンを押して誰が手を下したのかわからないようになっているはずである」というものがあった。最初にお断りしてあったのだが、この本は1988年に上梓されており、しかも現役の刑務官ではなく、退官された方から聞いているという制約がある。スイッチ式に変わっていることもコメント欄で述べておいたのだが、私も他人のブログのコメント欄は読まないほうなので、無理というものかもしれない。
 付け加えると、本の中に出てくる刑務官の方も、外地から引き揚げてきて一家が食べるために仕方がなかった、だからいやでもこの仕事を続けた。ほかに当てがあるヤツがうらやましい、というようなことをおっしゃっている。現在では少し時代が異なっているかもしれない。その上犯罪者のほうも、ほんとに物がない時代に無我夢中で強盗殺人、というような少し同情すべき面もあって、現在同じ議論が成り立つのかもまた考えなければならない。
 「死刑執行人の苦悩」にもその後のことが書かれていて、実はより深刻な問題があるのではないか、と考えさせられた。私が書いている程度の話は、この本の提起している問題からすると序の口かもしれない。

◆ ご批判の中から
 死刑賛成派からのご批判の多くは、それだけ悪いことをしたんだ、後から改心したからといって罪が軽くなるわけではない、死刑は当然だ、被害者及び遺族の感情や人権はどうなる、というものであった。なかには「だまされてはいけない」というものまであった。
 これは記事の最初にちゃんと書いてあるのだが、犯罪は許せるものではない。処罰すべきであろう。ただ、犯罪が残虐であれば「死刑しかない」のだろうか。死刑しかないというのならその死刑とはどんなものなのかを刑務官から見たものが大塚公子さんの著書である。

 その結果、多くの人が「犯罪もひどいが、死刑もひどいな」という印象をお持ちになっただろう。それに対する批判として犯罪はひどい、ということが論理的にほとんど無意味であることはお分かりだろうか。

「A(犯罪)もひどいがB(死刑)もひどい」。私はこのように言っているわけだが、それに対して「いやAはひどいよ」。このようにコメント欄で絶叫し続けるものが多く、最初のひとつふたつは残したが、あとは全く同じなので、ほとんど消した。
 おそらく、いいたいことは、犯罪のひどさを強調すれば死刑がひどくなくなる、もしくはやむを得ないと思えてくる、ということなのだろう。
しかし、コメント欄で犯罪そのものの悲惨さをいくら強調されても、そもそもその二つはシーソーに乗ってバランスをとる(行為者を殺せばバランスがとれる)ようなものではなくそもそもシーソーの両側にはないのではないか、ということを問題にしているのだ。だから、「ほら、一方がこんなに重いぞ」といわれても、こちらとしては「またか、悪いけど、ピントずれてる。本文読んでよ」という印象しかない。
笞打ち、鋸引きなど、やってはいけないことがある、それは犯罪がどれほど悲惨としても許されないのではないか、こういう問題提起である。

 ほかには、「この側面だけを取り上げ、感情的に死刑廃止に引っ張っていこうとしている偏った記事である」というメールも多くいただいた。私が「死刑大事典」とでも銘打って記事を書いたのならまだしも、すべての論点を網羅的に書いていないことについてはご勘弁いただくしかない。一つの記事で書けることは限られている。おそらく被害者感情についての情報はこれの100万倍くらい流布している。逆側の情報のひとつとして、こういう知らなかったことも考慮に入れてみてはどうか、という提案に過ぎない。賛成派の方の多くもこの意図はご理解していただいているようで、なるほどというものが多かった。一方で、こちらに1加えるなら100万の方にも1加えなければ許さないというまたしてもシーソー論のコメントがおおく、同じものばかりなので、一つ二つ残して削除した。

 昔、私のじゃないがランドセルにナイフのようなもので傷を付けたやつがいて、被害者の子が泣き、先生は加害者の子をもちろん叱った。被害者の子は加害者のランドセルにも傷を付けろといって聞かなかった。しかし先生はそうしなかった。私はその時、先生が何を考えているかわからず、不公平だと思った、相手を同じ目に遭わせる以外の解決はないと信じていたから。先生には被害者や私の思っていることもわかった上でそれを乗り越えることを教えようとしたのだろう、しかし私には先生のやっていることがわからなかった。先生は偉いものと思っていたので、釈然としないままだったが私は結局何も言わなかった。最近の子は結構先生をバカにしているので被害者の感情を考えろ、反対意見は無視するのか、と叫び続けるかもしれない。

 私は自分が先生であるなどとえらそうなことを言う気はないが、被害者感情を理解せよと言う人に対しては、こう答えよう。被害者感情は理解している、ただしあなたほど被害者感情だけで心の中をいっぱいに満たしてないかもしれないが、というだろう。あなたがどんなに大きな声で何度も叫んでも、いつも同じ引き出しに同じ大きさでしまわれるだけだ。しかし、刑務官の本は、私にも、また多くの人にとっても、気づかなかった引き出しに新たなものを付け加えたように思う。しかし一部には、そうはさせまいと「欺されるな」とがんばる人もいる。目を閉じたいのだろう、その裏には目を閉じさせたい人もいることにも気づかず(このことはまたいずれ書く)。
 で、「ランドセルに同じ傷を付けるしかないじゃないか」とコメント欄で繰り返す方、「しかない」考えはあなたの中で完結しておいてください、私のところに来ないで。ただし、気づかなかった引き出しに気づかせてくれるコメントなら賛成反対を問わず大歓迎。で、次のメールに触れたい。

◆ すこし考えさせられた批判
 こういうメールもいただいた。
 動物にたとえることの失礼をお許しいただきたい。私たちは、肉を食べる一方で、自ら手を下して生き物を殺すとなると抵抗がある。それでも昔、豚や鶏を潰すことが出来たのは、それが食物連鎖の中で「正しい」もしくは「やむを得ない」とおぼろげにでも考えられたからだろう。本当にどこから見ても無益な殺生であって間違っていると思うなら、「こんなことはやめにすべきだ」という気持ちが生じたにちがいない。つまり、あなたの書いておられるのは、まず「無益な殺生である」という前提に立たなければ成り立たないことではないのか

 つまり、巧妙に本を引用する形をとりながら、実は死刑廃止論を前提とした議論で循環論法になっている、ということだろう、う~む。
 死刑肯定論でこの考えをとるなら、屠殺や処刑をする人間に対する差別があるが、それを徹底的になくし、社会に必要なとても大切な仕事をしていただいている、感謝すべき、というしっかりとした発信が必要なのだ、そうすれば解決する、ということにでもなるかもしれない。そのことは「技術的には」難しくなく、たとえば、FOXニュースのように人殺しをする人間を英雄と毎日称賛する、もっとスポットライトを当てて、情報をオープンにし、陰湿なイメージを払拭する、ということも考えられることになるのかもしれない。
 ところが、この人の考えるようにオープンにしていったら本当に死刑が支持されるだろうか。隠されることが死刑制度の生命線なのかどうかが、明らかになるだろう。とにかく情報が漏れないようにしているというのは、オープンにしたら死刑制度が崩壊することを制度設営者側が知っているということを意味するのではないか、とも思われる。しかし、議論するより、やってみればいいと思う。実はこのメールの意見は死刑反対派なのかも知れない。
 いずれにしても、このメールに対する私なりの答えはあるけれども、まあなるほどと思ったご批判として挙げておきたい。
by luxemburg | 2006-10-01 20:50
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