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死刑廃止問題を論じてきたが、実際に手を下すのは死刑執行人(刑務官)だ。私達は「死刑はやむを得ない」といっておけば、それだけでなんだか正義が実現されたような気にもなり、場合によっては仇討ちを助けたかのような安心感を得るかも知れない。
しかし、死刑が執行された場合、最初の犯罪も残酷なら、死刑という次の死も残酷だということはないのだろうか。死によって得られるものが本当にあるのか。実際に死刑を執行する刑務官はどう思っているのか。 「死刑執行人の苦悩」(大塚公子:創出版)は衝撃的な本だった。 著者の大塚公子さんは、現役の刑務官から話を聞くことはできなかったので、退官された方へのインタビューからこの本を書かれた(そのため、若干情報が古いことをあらかじめお断りしておく。もちろん死刑の本質が変わるものではないことも)。 ◆ 死刑執行とは 夕方の拘置所、黒塗りの車がすっと止まると、風呂敷包みをもった検察事務官がおりてくる。その中身は死刑執行の命令書。死刑囚に言い渡しをしなければならない所長は、その日から眠れぬ夜を過ごす。死刑は執行の命令から5日以内に行わなければならない。 刑場は見た目、公園事務所のような建物。中に入ると、部屋はカーテンで仕切られ、半分が読経などをして最後のときを過ごす場所だ。場合によっては何か書き残してもよい。それがおわると、手錠、目隠しをしてカーテンの向こうへ。カーテンの向こうでは執行官が3人待っていて、一人が首に縄をかけ、一人はひざを縛る。そして一人がハンドルをがくんとやると、床が観音開きのように開き、地下室までまっ逆さまに落ちる。死刑囚は地下室の床から30センチくらいのところで宙吊りになってぐるぐると回転する。大小便を失禁し振りまかれるのを防ぐために、地下にいる刑務官は死刑囚を抱きとめる。死刑囚は窒息から来る激しいけいれんをおこし、両手両足がばらばらに動く。吸うことのかなわなくなった空気を求めるように胸部が激しくふくれ、またしぼむ。やがて頭をがくっと折り、眼球が飛び出し、鼻血が噴き出すこともある。心臓停止まで14分半ほど。決して即死ではない。 通常午前10時に執行が行われ、執行した刑務官はその日は終わり。手当を6000円ほど(1970年頃)もらい、風呂で汚れをおとして帰る。初めてハンドルを引いたある刑務官は、入浴の時、服を脱いで湯に浸かるという手順すらわからなくなってしまったという。 ◆ 刑務官にとって 初めての死刑執行のあと、ある刑務官は自転車のハンドルを握ろうと思ってもそれがさっき死刑囚にかけたロープのような気がして自転車にも乗れなかったという。 ではやがて慣れるのか?それがそうではないらしい。 何度やっても何度やってもその分だけ自分の人生にのしかかって来るという。初めてやったときに思ったことは「もう自分の人生はない」。そして、何度もやってそれを振り返っていう。「死刑のおかげで、誇りなど探しても見つからない、汚れた人生になりました」。 自分に元気な子供が生まれたことを産院から知らされたある刑務官は、大声を上げて泣く。「こんな仕事をしているんだからまともな子を授かるわけがない。どんな子供が生まれても自分の因果だから仕方がない、しかし子供に何かあったら、子供には何の責任もないのに申し訳ない」という気持ちになったという。 冷静に考えればたたりなんてあるわけがない。しかし多くの刑務官がそういう思いに苦しめられる。 またある刑務官は、夜、何度も目を覚ます。夢枕に死刑囚が立つこともある。家族もいつもお父さんを心配する。何故こんな人生を送らなければならないのか。 刑務官がそう感じるのは、一体なぜか、それは死刑囚を知るとわかる、と著者の大塚さんはいう。 ◆ 死刑囚の姿 どの死刑囚も生い立った境遇を思うとかわいそうで身につまされずにいられない。根っからの悪人はいないと本当に考えるのは刑務官たちである。 また仏教の教誨師を務める住職もそう感じてか、死刑囚に親身になってやることが多い。親身になってくれる人には嬉しくて、住職が来る日、多くの死刑囚は持てる限りの服で正装をして待つ。あるとき雪の中を来てくれた住職にある死刑囚は、「俺の為に、俺みたいなやつのために、先生、来てくれたのか」と涙をあふれさせた。住職が「おまえのために来たんじゃない。私はおまえに会いたくて私のほうから来たんだよ」というと、「おれ、こんなに親切にされたのは生まれて初めてだよ」と、その死刑囚はいつまでもいつまでも泣きつづけたという。彼はそれからというもの、住職の薦めでひたすら魂を磨くことに専念し、仏画も覚えて、最後には住職に「私にも及びがつかないほどの高みに上がった」と言わしめ、「お迎え」が来たときは手錠の両手を合唱し、「極楽への道案内に感謝いたします」と死んでいったという。 ◆ 再犯の構造が見えてくる 死刑囚たちに少しでも人間的な扱いを、と小動物を飼うことが許されていることが多い(最近は違うらしい)。 文鳥を飼うある死刑囚。その小鳥は死刑囚に親しみを寄せ、肩に乗ってあちこちつついたり、餌をねだったりして甘える。死刑囚も小鳥をとても可愛がっていたという。 あるとき、小鳥が自分と同じく三畳の狭い部屋にいるのはかわいそう、少し外に出してやりたいと願い、それを申し出たが規則でダメ。そこでなんと、その小鳥のデッサンをして、それを持ち出してかわりに外気浴させてやろうと思ったらしい。絵がうまい人かどうかは知らないが、きっと心を込めて「待ってろよ、そっくりに描いてやるからな。外で気持ちよく過ごせるからな」と一生懸命に描いたことだろう。しかしそれも「規則でダメ」。その死刑囚はキレた。暴れて懲罰房に入れられ、手錠を腰のところに固定されて、ご飯もイヌのように食べる一週間の生活。そのあと二度とその死刑囚は人に心を開かなかったという。死刑にしないで無期懲役、その後仮釈放し、またやったらどうするのかと、再犯を心配する人がいる。心配自体はわからないではないが、人を再犯に追い込んでいるのは一体誰なのか、見えてくるような話ではないか。 そのような死刑囚に直に接して身の上話も聞いてやる刑務官、それがある朝、執行を命ぜられるのだ。 ◆ 拘置所長 拘置所長も死刑囚に言い渡し、自分が直接手を下さないまでも、すべての執行を目の前で見なければならない分、順番に執行がまわってくる刑務官よりもいっそう辛い立場にあるともいえる。だから冒頭で死刑執行の命令書を受け取ると所長は眠れぬ夜を過ごすと書いた。 ある拘置所長は命令書が届くと心臓が平常ならざる鼓動を打ち、狭心症の発作を数え切れないほど起こした。死刑問題について考えることを医者から止められているという。彼からみると死刑囚は、宗教に帰依し、苦悩から解放され永遠を目指す境地に至った及びもつかない崇高な境地に至った人間が多いという。「こんないいやつをどうして生かしていてはいけないんだといつも悩みました。苦しかったですよ」。そして執行のとき「お世話になりました。有難うございました」と握手を求められる。「頑張れよ」とも、「元気でな」とも言えない。 彼は死刑についていう。「人間としてこんなに恥ずかしい制度はないと思う。」 この本は雑誌に連載されていた時に一度だけ読んで、知ったようなことをお玉さんのところに書いたのだが、きちんと本になったものを読みなおした。 刑務官たちは、守秘義務もあるが、死刑について語ろうとしない。しかし、その中で話してくれた刑務官たちはインタビューのあと、決まってこう語る。「恥ずかしい人間です。自分という人間は」。 こうやってひっそりと隠されて、誰も知らないところで命の灯が一つ、また一つと消えていく。白日の下にさらせば制度は存続しないだろう。隠されていることが死刑制度の生命線なのかもしれない。 死刑廃止演説で名高いフランスの法務大臣ロベール=バダンデールの演説の最後の言葉が、いまずしりと心に響く。 明日、みなさんのおかげで、夜明け方のフランスの刑務所の黒い天蓋の下で人目をしのんでこっそり執行される、私たちの共通の恥である死刑が無くなるのです。明日、私たちの司法の血塗られたページがめくられるのです。 ・このエントリーへのコメントをまとめたもの→こちら ・その中で、私の立場への有力な反論のひとつとして→こちら ・ 本文の記述はおかしい、絞首刑では即死のはずだ、というご質問について→こちら ・死刑廃止QandAとして→こちら
by luxemburg
| 2006-09-27 18:48
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