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九条の会



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靖国参拝ショック!--天皇も合祀に不快感
 昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を持っており、それ以降靖国参拝をしていない、というメモが明らかになった。



昭和天皇、合祀に不快感----靖国のA級戦犯に触れ
 昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示す発言をしていたとする当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)が書き残したメモがあることが関係者の話で20日、分かった。昭和天皇は1978年にA級戦犯が合祀されて以降、同神社に参拝していない。メモは、明確になっていないその意図を探る貴重な資料であるとともに、小泉純一郎首相の靖国参拝にも影響を与えそうだ。
 関係者によると、富田氏は同庁次長時代を含め、昭和天皇との会話を手帳などに書き留めていた。靖国発言のメモは88年4月28日付。メモによると、昭和天皇は「私は或(あ)る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが」「だから私(は)あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などと語ったと記されている。
 「松岡」「白取」はA級戦犯としてまつられている松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐イタリア大使を指すとみられる。(東京新聞20日朝刊)


 この問題は、本当のところは目新しくない。以前靖国を取り上げたときにも、ごまめの歯ぎしりの記事を紹介した通り、1972年、日中共同声明のときに、中国国内にある賠償金請求という声を押さえて日本と仲直りすることにした。
 毛沢東や周恩来が言うことには、日本国民みんなに責任があるとは思わない、あれは一部の軍国主義者が行った戦争であって、日本国民も被害者といえる。簡単にいえば、日本国民と一部の軍国主義者とを区別し、日本国民とは仲良くしましょう、同時にあの不幸な戦争を起こした軍国主義者を憎みましょう、という趣旨であったといえる。
 その後、三木武夫首相が靖国参拝しても中国側は文句を言わなかった。ところが靖国神社がA級戦犯を合祀した(これは一宗教法人のやったことでどうこういうことではない)、それに対して閣僚が参拝するのは日中共同声明に反する。だから天皇は、合祀以降、中国が文句をつける・つけないと関係なく靖国に参拝していないじゃないか、それがごまめの歯ぎしりで河野太郎が説明していたところだ。

 再度いう、中国が問題にするから参拝がいけないのではない、そもそもがおかしいのだ。

<ジェラルド・カーティス米コロンビア大学教授(政治学)の話>
 昭和天皇が、靖国神社のA級戦犯の合祀に強い不快感を示していたことが明らかになったことの意味は大きい。靖国神社参拝問題が、外国にいわれて問題になったのではなく、もともと日本国内の政治問題であることが明らかになった。
 A級戦犯を合祀することは戦争を肯定する象徴的な意味がある。外国から見てもおかしいし、日本の天皇から見てもおかしいということだ。天皇陛下も参拝しない靖国に総理大臣が行くべきだというのは矛盾している。
 天皇の発言が明るみに出たことによって、国内問題としての靖国神社参拝問題がもっと議論されるのではないか。
 戦中戦後を通じて天皇だった昭和天皇が「天皇陛下万歳」を叫んでなくなった兵士がまつられている靖国神社の参拝をやめるほど、A級戦犯合祀にこだわっていた。天皇の言葉を次の総理候補も真剣に考えて、靖国神社問題の新しい解決のあり方を考えるべきだ。 asahi.comより


 私からすれば、靖国神社というのは国民を殺すための道具で、こういう施設がなければ誰が国に喜んで命をささげるか、というふうにいう人も多い。実際戦前は「靖国で会おう」というのが合言葉だったというし、「死んで神様になれるのはこの神国日本だけ」といわれ、死ぬことが推奨されるための重要な施設だった。
 「靖国問題」(高橋哲哉)によると、戦没者遺族は靖国に招待されて、天皇が文字通り神々しく参拝する場に居合わせ、自分の家族が天皇と一体となって神の領域にまで達することが、鎮魂と家族への栄誉として靖国と戦争を支える原動力となっていた。
 天皇が参拝しない靖国は無意味であり、「軍国主義者碁会所」などの名前に変えたほうがよい。

なお、いつものことながら、安倍氏は
 また、A級戦犯の分祀については「靖国神社の判断であり、政府としてコメントする事柄ではない」とし、無宗教の新たな追悼施設建設については「慎重に検討していかなければいけない」と述べるにとどめた。

 この人の子供時代の国語の通知簿を見たい。合祀そのものは靖国神社が普通の宗教法人となっている以上信教の自由だ。問題とされるのは、国の指導者または指導者たらんとするものが、それに参拝することの是非である。
 あちこちで、再チャレンジがどうのこうのと、将来を展望するようなことを言って支持を集めて回っているにもかかわらず、自分の理念を語ることができないのか。それとも、理念を語ったら軍国主義者そのものだ、ということになるから何もいえないのか。

 権力者は、事件が戦争につながりそうだと目が輝き、事件を戦争につなげられないと思えば顔がくもる。
----luxemburg「心の玉手箱」より




 この手の話が出てきたら必ずあらわれるのが、「どうしてこの時期に出てきたのか」「誰のどういう意図なのか」などという「分析」や「読み」だ。よく知らないが、沖縄返還秘密伝聞事件の時にも中身より犯人捜しの推理の方に躍起になっていて、結局沖縄が犠牲になるかどうかという問題を真剣に議論しなかったのではないか。
 私は正直な話、今回のメモのことなどどうでもいい、と思っている。上にも書いたとおり、私の中では別に新しい話ではなく、大切なのは靖国神社のあり方の問題からだ。どうか取材能力もないのに、ウラだのオモワクだのタイミングだのと論じないでもらいたい。

 一方で、A級戦犯を分ければよい、という議論に終始して、まるで差別語狩りで終わらせるような話にも警戒したい。

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by luxemburg | 2006-07-20 21:40
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