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高倉健主演の「単騎千里を走る」を観た。
「単騎千里を走る」とは、もともと三国志の中に出てくる。蜀という弱小国の劉備に仕えた家臣、関羽の話。もともと劉備の家来だったが、大国である魏の曹操に捕らえられた。曹操は関羽の才能にほれ込み、重用する。関羽は曹操のために手柄を立て、そのままいれば楽できたのに、その報償を断って一度死を誓い合った(「桃園の誓い」)主君、劉備の下へ走る、それが「単騎千里を走る」で、三国志の名場面のひとつである。何をそう頑なになるのか、何がおまえを駆り立てるのか、と言いたくもなるが、儒教文化の日本、韓国、中国人は理屈抜きで応援したくなる場面だ。その題材をHERO、やLOVERSの監督、チャン=イーモウは新作に選んだ。 時代は現代。高倉健は、かつて息子と大喧嘩して絶縁状態にある父。息子の死期が近いことを知り、息子が情熱を傾けた中国奥地、雲南省の伝統芸能である仮面の踊りの撮影に病床の息子を理解したくて一人で出かける。言葉もわからないまま、まさしく「単騎」ですべての困難をものともせず目的に向かう姿に、中国の人たちも心を開いていく。 儒教文化の影響がありつつも、あれだけわれわれと同じようないでたちの人たちが、同じような感性、むしろわれわれが捨ててしまった宝物を大事に包み込むようにして、貧しいけれども心豊かに暮らす姿を見せ付けられると、それだけで何もいえなくなってしまう。 親子の絆をもう一度取り戻したい、人間としての自然さ、素直さを探しになぜ中国の奥地に行かなければならないか、その必然性はよく伝わってくる、それがかえってわれわれがもっとも大事にすべきものがもはやこの日本にないのかもしれない、という気持ちにもさせられ、少し悲しい。 HEROのようなめまぐるしい映像を撮った人とは思えない、落ち着いた自然描写で、自然と溶け合った人々の心象を描写していく情景はHEROが目をぱちくりさせるようなものであったのに対し、温かく目にしみこんでくるような映像だった。 シーンの中で印象的だったのは、一番奥地まで高倉健が行ったとき。村の長老は、「道理」をわかってくれ、という。いや、そんなものを聞いてみたって、しょうがない、途中の過程は別として、結論はどうなんだ、とこちらも思わされるのだが、高倉健が、「道理」を知ろうとしたとたんに、老人の心はうちとける。 何を言っているのかわからないかもしれないけど、ネタバレになるので、われわれが知っている話に引きなおしていえば「お金がほしいなんていってるんじゃない、心からすまなかったといってほしいんだ」と求める、もといわゆる従軍慰安婦、強制連行の被害者の気持ち、というところだろうか。 そこにあるのはわれわれの文化だ。われわれが求める自然との暮らしだ。それを姿かたちがそっくりな中国の人たちが全身で訴えてくると、「どうしてこの人たちと仲良くできないの」という気持ちが自然にわいてくる。なんだかそのまま向こうが日本人でわれわれが中国人であってもおかしくないような気になる。 そういうことをいうと、「同化したら日本の独自の文化が否定されるじゃないか」という反論がくるだろう。そりゃそうだ。しかし、日本人は北海道の、沖縄の、そして朝鮮の人たちにそれを強制した歴史を忘れてはならない。 またtoxandriaさんが勧めているというだけの理由で映画を観てきてしまった。でも政治抜きで、なんだか暖かい気持ちになれるいい映画だった(じゃあ映画評も政治抜きで書けよ・・・それは無理「人間はポリス的動物である」:アリストテレス)。 現在、オリバー・ツイストを政治抜きで書いています、今度こそ。
by luxemburg
| 2006-03-01 22:10
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