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ラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフ(1859〜1917)。おそらく今までで一番成功した人工国際語、エスペラントの創始者である。
エスペラントとの出会い世界語、国際語などというと、「君たちは国民である前に地球市民だ。世界政府樹立のために・・・」というような本に書かれていたことがあって、「う〜ん、まあそうかもしれないけど・・・」と、どうもまがいものくさいような感じをもっていた。 このエスペラントの話を最初にしたのは大学生の頃で、そうすると英語専攻の友人が「エスペラントの失敗はね・・・」と語りだした。どうも教授が必死にエスペラントの悪口をいっているらしい。私は「はは〜ん、エスペラントというのは英語およびその世界戦略にとって非常に邪魔な存在らしいな」と漠然と思った。 実際にエスペラントを話すという人に出会ったのは、不思議なことに、英語圏(オセアニア)の普通のおばさんだった。「なぜエスペラントをやらないの、文法規則がないのよ(これは誤解。でも彼女にはそう感じられたのだろう)」。そうか、別に世界革命とか構えなくても、普通にコミュニケーションの道具として使えるものなんだ、しかも簡単らしい。それから少しずつエスペラントについて調べるようになった。どんな人が作ったのだろう、と。 ザメンホフとはポーランド生まれのユダヤ人。ザメンホフは、小さい頃からロシア語、ポーランド語、ドイツ語を話し、フランス語の読み書き(細かいのを入れると最初から7カ国語話せたらしい)、その後古代ギリシャ語、ラテン語、英語などを加え、合計で12カ国語ほどをマスターした。 ポーランドはロシアに占領された上に、ザメンホフはユダヤ人であるがゆえに二重の差別を受けた。ロシア語を話すことを強制され、イディッシュ語、ポーランド語を話すというだけで差別されたり、言葉が通じないがために、自分の身を守ることが出来ない人々を見て、子供心に、なぜ言語がバラバラなのか、共通語を作ることはできないのか、と思い始める。 人間が力を合わせて、バベルの塔のようなものを作らないように、人間達の力をそぐために言葉をバラバラにして、人間達をいがみ合わせた、という旧約聖書の話を知って、少年だったザメンホフは、母親に世界共通語を作ることは神の命にそむくことか、と聞く。母親は、人を愛するためにそうするのならむしろ神の意志に従うことになるという。ザメンホフ少年の心も決まった。 が、当時ユダヤ人には医者になるくらいしかきちんとした生計を立てる道がないことから、医学の道を選び、ロシアに留学する。当時のロシアでは、ユダヤ人はゲットーに押し込められたり、黄色いマントをきることを強制されたり、毎月関東大震災で殺される朝鮮人のようなことがあって、虐殺は日常茶飯事だった。 ユダヤ人はパレスチナ国家を作るべきか、と悩む中でザメンホフは、ユダヤ人を救う目的だけでパレスチナに国家をというのなら、それも一種の民族主義に過ぎない、全ての差別をなくす中でユダヤ人問題を解決しよう、と考える。その手段の一つが国際語を作ることだった。やはり医学の勉強をしていても、人工語の夢は捨てられなかった。 かれは、自分が作った人工語の「希望する人」という意味で、エスペラント博士というペンネームを使うが、やがてそのペンネームが、新しい人工語の名前となった。 国際語の条件彼が新しい国際語の条件として考えたのは、学ぶのが簡単で、発音が美しいこと、さらにどの国からも中立の言語であるということだった。 特に最後の条件は重要で、どこかの国の言葉をそのまま国際語とした場合、他国の言語は文化的な侵略を受け、自分たちがポーランドでロシア語を押し付けられたような差別を生み、結局自分たちの持つ言語自体も崩れていくだろう、とザメンホフは考えた。実際、ザメンホフはエスペラントの最初の本で、エスペラントを学ぶことによって、それぞれの国語がより美しくなるんだ、といっている。 これはまさにフランス人が、そして日本人が悩んでいることを100年以上前に言い当てているのではないか。 エスペラントの成り立ちと歴史エスペラントは主にロマンス語(フランス語)を基礎として、英語、ドイツ語などを混ぜたような言葉になっている。 それまでにも共通語を作る試みは何度も為されたが、結局このエスペラントが一番成功し、全世界に100万人ほどの使用者を有していると言われている(私の印象では、結構カジュアルにやってるおばさんとか、外国にいたりするので、実際にはもっといるのではないかと思っている)。 文化人の中ではトルストイ、ロマン・ロランなどの推奨者がいる。ロマン・ロランは、「エスペラントは人類解放の武器である」という。 日本では二葉亭四迷、大杉栄、現在では本多勝一、佐高信など、推進者を生む。 現在、北京放送、ワルシャワ放送など、世界14の放送局でエスペラントのラジオ放送が行われている。フィアット、フィリップスは、製品のパンフレットにエスペラントの説明文、映像でもエスペラントを加えている。そう考えると、最初に書いた、「怪しげな言語」でも何でもなく、大体地球のどこでも放送が聞ける、というレベルにまで達した、れっきとした国際語である。しかし、最初に書いた通り、エスペラントの歴史は弾圧の歴史でも有り、ヒトラーは我が闘争の中で、エスペラントを名指しで危険なものとしている(ということはますますよさそうに思えてきたでしょう?)。 1954年にはユネスコの目的と理想がエスペラントと共通であり、エスペラント協会と協力する、という決議をユネスコの総会であげている。 エスペラントは、人工語であってどこの国に対しても中立の言語と言える(但し、ヨーロッパ語を中心に作られているので、他の地域のものにとってはちとつらい)。 学びやすさで言うと、トルストイは15分で概要を理解し、2時間あれば普通に読書ができるようになったと言われているが、やはり日本人にとってはそこまで簡単ではないのではないかと思う。 これから現在、エスペラントは、かつてのような理想主義的な時代の勢いを持っていない。アメリカへの一極集中の状況で、事実上すたれつつあるともいえると思う。しかし、ポーランド、中国などのように公共放送でエスペラントを流すところが14もあること、アメリカの力の源泉の一つであるドル支配が崩れてくれば、EUと中国が電撃的に公用語として採用し、2004年あたりがエスペラント元年になるのではないかと予測していた(これはどこかで以前コメントに書いたと思う)。それはエスペラントの母国ポーランドのEU加盟、さらにEUが拡大していくと翻訳費用がバカにならないことから、どうしてもその必要が出てくるように思われた。 残念ながら、9.11に続くイラク戦争で、イラクのドルからユーロへのシフトが阻止されたために、ドルの命が数年のびた。その結果、エスペラント元年も少し延びてしまったかと思っている。 私は別に地球市民主義者でも世界政府主義者でもない(かといって「愛国者」でもない)が、みんなが自分たちの母国語を大事にし、磨きながら、同時に中立的な言語でコミュニケーションをとれればいいな、と今も素朴に思う。 それに加えて、世界にエスペラントが広がれば、必ずアメリカは悪魔にとりつかれたような国ではなく、他の国々と対等の陽気な国になると思う。 今、多くの人がエスペラントは国際語ではなく、民際語だという。国際機関でまだ公用語として採用されていないため、というより、警戒されているためになかなか表舞台にはでられない(アメリカはエスペラントをつぶすためなら化学兵器くらい平気でまき散らすと思う。おそらくイラクよりもずっと怖いと考えているだろう)が、民衆のレベルでひろげていけばよいではないか、ということだ。 おすすめリンク 日本エスペラント学会 その中では エスペラント即席講座 ザメンホフの伝記 などがおすすめ 私自身読んだり聞いたりしたのは「エクスプレス・エスペラント」という本。
by luxemburg
| 2005-11-29 23:02
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