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第3回で民主主義が最悪の結末になるようなことばかり書き、第4回では結集すれば何とかなるみたいな、いんちきくさい話になってしまったので、もう少し民主主義について考えてみたい。
あまのじゃくに考えてみようはるか昔、私が反抗期を迎えた頃、親の言うことに反対すると「何でも反対して、共産党のような子だね」といわれた。実はそのとき「へえ、共産党っていいじゃん」と思った。私なりに反抗する理由があったので、いうべきことはいわなきゃ、それをきちんとやるのが共産党というならそれでいいじゃないかと思った(もちろん親からすればそういう反応自体、共産党のような子、ということになるのかもしれない)。いつも叱られる時に一緒に共産党が出てきたのでかえって友達のような気がした。 今も色々なことがわからなくなったとき、一種の思考経済として「こいつの反対に考えればいいんじゃないか」と思うことがある。アメリカがテロリストと非難する時にはひょっとしてアメリカがもっと大規模なテロをやりたがっているのではないか、と考えると意外に当たっていることがあるかもしれない。 だから、国が腐ってきたな、と思えた場合、近代国家が何をしてきたか、何をしようとしているかを考え、その反対は何かと考えると答えが出るかもしれない。 近代国家の成立毎回中学の社会のような説明をして申し訳ないが、ちょっとおさらいしておくと、我々が国家(Nation-state)とよんでいるものは、昔からあったものではない(なのに「ギリシャの独立(19世紀初め)= 古代ギリシャの復活」などという国家誕生神話を作りたがる人がどこの国でもいて、さらに国によってはそれをまた教科書にまで載せたがる人がいるためにややこしくなっているだけ)。 中世までは、法皇の権力、国王の権力、領主の権力が多重的に存在しており、我々が現在イメージするような国家はなかった。しかし、絶対王政の成立過程で、対外的には法皇から独立し、国内的には封建領主の権力を奪って成立したのが近代国家であるネイションステート(国民国家)である。その国王の首をすげ替えるため市民革命が勃発した。近代国家は、絶対王政時代に確立した枠組みのまま、民主主義によりいっそう求心力を強め、愛国心をバネに軍備を強化し、植民地獲得、戦争の装置として発達していった。戦争は国家の経済を動員した総力戦になり、軍事力の発展もあって、数年で国家も国民もぼろぼろになるような悲惨な戦争をするようになった・・・・ おさらいおわり。 だから、もしこの国家が腐っている、何とかしなければ、というときには近代国家成立の逆をいく、というのが一つの考え方として出てくることになる。 国内的には----多元的な民主主義を実現する民主主義を国家単位でだけ考えると、何年かに一度選挙が行われるが、あまりに生活とかけ離れた抽象的な争点で行われるので、事実上宣伝戦のもとで行われる人気投票のようなものになってしまう(例えば「近所に基地ができる」という話ではなく、「安全保障」「国際協力」となると、何だか勇壮なことをいうリーダーがカッコいいような感じになる)。 そして、それで一旦政権ができると、議会が君が代を国歌と決めたりするかもしれない。君が代を国歌としたからと言って強制するわけではない、と説明があったのに全くのウソで、学校現場では、生徒の声量や口の開け方まで指導の対象となり、場合によっては教師が処分されることもある。そういう場合、民主的に選ばれた議会が決めた法律なんですよ、という国家の分厚い壁が立ちふさがる。そんな全権委任だったっけ?、と思ってももう遅い。 そういう事態に対しては日本国憲法では、議会の決定という民主主義と、教師生徒の思想・良心の自由(憲法第19条)のバランスの問題として、そのチェックを裁判所が行ってくれることになっている。つまり民主主義と自由主義のバランスで問題が解決されることになっている。 しかし、裁判所というのも国家の権力装置の一つでしかなく、裁判という政治過程を用意することによって、国家への承認、服従を調達する手段に過ぎない。 アメリカの最高裁判例の研究によると、政権交代の数年後に、最高裁の判決がその政権の考え方に沿ったものになるらしい。権力に刃向かって人権を守る砦などというのはフィクションに過ぎないといっていいだろう。そう考えると権力分立というのも、一種のイデオロギーかもしれない。 そういう場合に、民主主義に自由主義をぶつけるというおめでたいフィクションに頼るのではなく、民主主義に民主主義をぶつけるシステムがあっていいのではないか。先程の学校の例で考えると、学校内の自治、民主主義を大幅に認め、上からの職務命令、職場の意見、父母の意見、生徒の意見の調整で決める。 職場も同じで、諸外国では労働者の自治も企業において一定考慮される経営委員会などのしくみをとっているところも多い。そうやって多元的な民主主義を作り上げていくのだ。近代国家はそういう部分的な秩序を認めず、国家の下に一元的に権力を集中させていく過程で成立したからだ。 民主主義というのは決定へのアクセシビリティーの確保であり、何年かに一度大統領を決め、次の大統領選挙までは、戦争で命を落とす可能性も含めて何もかも預けなければならないというのでは、民主主義が行われているとはいえない。 民主主義が多元的に認められると、国家の権限は非常に縮小され、身の回りのことは全て小さい単位の民主主義で決まるから、国政選挙において大々的な宣伝を行おうとする勢力もなくなる。抽象的な争点を挙げたり、争点隠しをしておいてマスコミで洗脳し、その結果を民主主義だ、などといえる世の中ではなくなる。小さい単位では民主主義はそれなりに機能するだろう。 これは半分は制度の問題だが、憲法上地方自治があるのにあまり機能していない。実は、それ以上に政治文化の問題でもあり、国民の合意のもとでこのような政治文化に移行していくことは現在でも十分できる。 国外的には対外的には、ローマ法王からの独立を近代国家が勝ち取ってきた。 国家主権の対外的独立性が強調されると、アメリカの単独行動主義のような極端な例を見ればわかるが、温暖化問題一つをとってもすぐに暗礁に乗り上げてしまう。 EUは、ユーゴー(レ・ミゼラブルなどの著者)の理想を受け継いで、国家の主権を徐々に国際機関に委譲しようとしている。 今のところ抽象的な話しかできないが、民主主義がプレシビットに陥らない政治文化を築く努力があれば、そして国家というものと向かいあっていく勇気があれば必ず明るい社会が来ると思う。それは何主義という先験的な命題から演繹的に導かれる政治制度ではなく、もっとダイナミックに達成していくような国家のデザインの問題だと思う。 それは軍備を持たないとする輝かしい憲法を持つ我々だからできる、というよりこの憲法を持つ者に与えられた課題ではないだろうかと思う。 1919年、右翼を中心とする老壮会の呼びかけは、「我国は内外全く行き詰まり、・・・米英の勢力ますます東洋に増大し来らんとしている。・・・社会上には貧富の懸隔ますます甚だし・・・根本に憂国的精神の存在する以上は・・・何を発言しても差支えなしということに致し、土間の上にむしろを敷き、アグラをかいて国事を議した維新志士の精神に立ち返り、この会を進めていきたい」とするもので、大正デモクラシーのハイライト場面の一つとなった。この後の日本が自由な議論を失い、暗黒の時代に突入していく前の、左右が一緒に国難に当たるという意味では最後の輝きだった。 長々ととりとめのないことを書いてきてしまいましたが、右翼・左翼のシリーズはこれで終わりとさせていただきます。
by luxemburg
| 2005-11-20 21:45
| 過去参加していた同盟
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