人気ブログランキング | 話題のタグを見る

とりあえず、のブログです
by luxemburg
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

九条の会



最新のトラックバック
カテゴリ
ブックマーク
以前の記事
タグ
あなたも反小泉ブロガー同盟へ(1)----右翼と一緒にやっていけるの?
 反小泉はわかった。確かにこの4年半、自殺者は増えたし、明らかに間違った戦争に荷担した。郵政民営化は売国のような気もする。
 でもなんだか反小泉の先頭に立つと思われる日本共産党とけんかしてるようにも見える(その誤解は前の回で終わった、はず)、さらに右翼と組むっておかしくないか、という人もいるだろう。
 逆に右翼の人からすると、どうしても反権力というと左翼が多い、そんな奴らと、ということになるかもしれない。



 しかしそれは本当だろうか。右翼と左翼が本当に手を組むことができないのか。

意外!右翼ってこんなメンタリティー?
 そこで、右翼の源流ともいえる、1936年の2・26事件(青年将校たちがクーデターを企てた事件。戦後の三島由紀夫の事件を連想させる)を主導した、右翼の思想家、北一輝の話を、少し長いが、三好徹の「戦火の昭和史--興亡と夢」第1巻55頁~から抜き出してみよう。「ヤングジャンプ」の連載(昭和58年らしい)なので、ちょっと青少年向けの文章になっている。

 ここで北一輝という人物について説明しなければならない。北の抱いていた思想がクーデターを起こした将校たちの基盤になったからだ。
 大正8年8月、彼は上海で「日本改造法案大綱」を執筆した。この原稿を右翼の思想家である大川周明が日本に持って帰り、ガリ版印刷で出版した。その内容はきわめてショッキングなものだった。天皇は国民の総代表であり、天皇の大権によって憲法を三年間停止し、その間に在郷軍人を主体にして、日本を改造しようという考え方を述べたものだった。
 ではどうやって改造するのかというと、まず私有財産の制限である。総代表たる天皇は所有している土地とか山林とかをすべて国家に渡し、その代わりに、皇室費を毎年3000万円支出する。また一般の市民は、一家の所有する財産を100万円までとし、それを超える額は天皇にならって国家に納める。もしこれを拒否するものは死刑とする。
 ・・・・
 このころ、一般市民の生活は苦しかった。ことに、農村は不作のために、娘を売るものが続出した。
 売られた娘は、工場で奴隷的にこき使われるか都会の娼家で働かされるかであった。本人の意思は全く無視された。逃げようとしても、監視付きなので、逃げられない。仮に逃げることに成功しても、すでに親が前借り金をもらっているので、逃亡は借金を踏み倒したことになり、警察の手によって連れ戻される。その後に待っているのは、むごいリンチである。
 農村では若い働き手が兵隊に取られるために、生活が苦しくなることが多かった。もし兄が働いていれば、その妹を売らずにすむというケースが多かったのだ。
 青年将校たちは、部下の兵隊たちの、そういう家庭の苦境を直に見ていた。何かしら元気のない兵隊がいる、どうしたのか、と聞いてみる。すると、自分が兵役に服しているために、妹が売られることになった、という。
 といって、将校たちは、兵役に服するのをやめて、故郷に戻ってよい、と許可する権限はない。
 その一方で、苦しい農民や、都会の労働者、安い給料のサラリーマンたちとは対照的に、特権階級なるものが存在した。
 その代表は、三井、三菱といった財閥であった。銀行、鉄、造船、鉱山などを支配し、多額の利益を上げていた。農民は娘の青春を百円で売ったが、財閥の家族は一着の衣服や贅沢な食事に百円の金を使った。
 何かおかしいのではないか、どこかが歪んでいるのではないか。
 若い将校たちが、そう感じたとしても、不思議はなかった。政治が悪いからこうなるのだし、国家の仕組みがおかしいから、こんな矛盾が生じてくる。何とかこれを改める方法はないものか。そう考えているところに出てきたのが、北の「日本改造法案大綱」だった。北の提言を実現すれば、富める者はますます富み、貧しいものはますます貧しくなる矛盾を、ある程度は解決できる。つまり国家を改造できる。青年将校たちは、素朴にそう考えた。



 ちょっと待て、これ本当に右翼? この心情、ワシらと一緒やんけと思わなかっただろうか。
 それに北一輝の考えたことはなんだか、一般の人が抱く共産主義のイメージに近くないか。死刑、というのは極端としても、なんだかプロレタリアート独裁によって強権的に平等を実現するレーニンとあまり変わらないような気がしてくる。スパイ・ゾルゲ(篠田正浩監督)という映画の中でも、この思想は結局共産主義じゃないのか、と西園寺公望にいわせるシーンがあったように思う。非常に興味深い思想だ。

 え、なんだか右翼とか左翼とかって、わけがわからなくなってきた、という人もいるのではないだろうか。いわゆる右翼の心情は、実は我々が思っていることとそれほど変わらない。手段はちょっと過激な気がするが、左翼と何が違うの、といいたくなるのではないだろうか。

実は、人間の考えることはあまり変わらない
 知ったように「いろんな考え方がある」という人がいる。なんだか民主主義社会ではそれが当たり前なんだ、と言わんばかりだ。もちろんそういう局面もある。しかし、多くの局面で、意外にそうでもないのではないか。
 たとえば、ベトナム戦争の時に戦場の生々しい映像、写真が報道され、反戦運動に勢いを与えてしまった。だから、湾岸戦争以降は非常に報道管制にアメリカは気を使った。
 つまり、真実が報道されてしまった場合、人間が感じることははっきり言って一つなのだ。アメリカの当局自身が「いろんな考え方」なんてないことを知っているからこそ、報道管制をするのである。

 ではどこが違うのか、それは右翼、左翼というデジタル思考をやめて考えてみるとある程度わかる。まあ簡単に言うとケインジアンとマネタリストの違いのようなものだろうか。長くなったのでこれについては、また次回書くことにする。

 いずれにしても右翼の心情といい、目指したい平等といい、なんだか協力できる余地があるのではないか、というところまではガッテンして頂けましたでしょうか?

 では本日のまとめは、へ(もはや一切お薦めしておりませんので、リンクは外しました)。ちょっと決心がつかない方はせめてなど。



 この記事は、「反小泉ブロガー同盟」の初期に書いたもので、現在この同盟への評価は変わってしまっています。現在どうということは別にして、この当時はこの同盟への参加を呼びかけていた、というに過ぎません。
by luxemburg | 2005-11-10 23:01 | 右翼とか左翼とか
<< 【レビュー】拒否できない日本-... 消費税増税---誰がなっても避... >>