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とりあえず、のブログです
by luxemburg
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九条の会



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日本共産党の党名問題--これが最後
党名問題については、9月にカッシーニさんらと少し話し合った。無駄かもしれないし、支持者のふりしてるだけと思われてもいやなのでどうしようかと思いつつ、これを最後にちょっと。



2000年の大統領選挙
ブッシュ対ゴアの大統領選挙の時、私は異様に興奮していた。今考えれば不思議なくらい、ネットにも書き込んだことがあるし(ブログは当時なかった、と思う)、家族にまで「ブッシュになったら大変だ」と毎日話し、どうしたんだと言われていた。「どっちになったって大して変わらないよ」と言われるとまた興奮して何分も話した。
 考えてみたら遠いアメリカの選挙について、私が何を言ったってどうなるものでもなかったが、今になってやっと私の家族やまわりに、私があのときあそこまで興奮した理由がわかったようだ。

 ブッシュとゴアのほかに、ラルフ・ネーダーが候補者だった。ネーダーは世界的に見ればその3人のうちで一番有名人だったかもしれない。消費者運動の旗手、欠陥車問題で名をはせたネーダーは、市民・消費者の支持を広く獲得していた。しかし、やはり小選挙区制の大統領選挙では、勝ち目がなかった。
 私は、ネーダーがかなりゴアの票を食うとしても、ゴアが勝つだろうと思っていたし、事実、全米の得票数でも、おそらくフロリダでもゴアが勝ったが、司法的な決着でブッシュの勝ちにされてしまっただけだ。しかし、もしネーダーが出ていなければ、ブッシュ側がフロリダで投票妨害その他の行動に出ていてもいなくても堂々とゴアが勝っただろう。
 ネーダーが素晴らしい人であるとしても、ネーダーが出馬していなければ、アフガニスタン、イラクであれだけ多くの人が死ぬことはなかっただろう。
 日本共産党は現在、まさにこのラルフ・ネーダー役をやっているのと同じである、というのが私の言いたいところだ。

日本では
 日本共産党は、非常に価値の高い党である。
 獄中で何年も戦争反対を唱えた続けた人たち、拷問で殺された人間もたくさんいる。そんな中で、主義主張を曲げなかった。現在でも団体からの政治献金を受けない、政党助成金をもらわない、という強烈な個性を持つ。
 市民運動家やブロガーが多少の影響力を持ったとしても、日本共産党に比べればこどものようなものだ。多数の党員を有し、機関紙・誌をいくつも出す日本共産党、とくにベトナム戦争の取材などは世界的にも評価が高い。逆立ちしても個々の知識人、弱小団体はかなわない。平和勢力という観点で見て、くすぶったたき火で唯一火がついている場所といってもいい。それを見たら誰だって、新しくマッチを擦ったりしないで、その火に向かって「フー、フー」と息を吹きかけるだろう。何とかこの火が大きくなってくれないか、と。

 しかし、政権という観点から見ると、ラルフ・ネーダーと同じで結局「死票製造装置」となっているのが現状だ。だから、わたしは9月の時点で、共産党は候補者を立てるな、と書いた。
 もし共産党が、選挙区では候補者を出さない、ということをやっていればそれだけで、STOP THE KOIZUMIは目標を達成したようなものだ。もちろんその選挙区の民主党候補が自民党よりもかえってひどいと思われるところでは堂々と候補を立てればよいし、比例区はそのままでよい。おそらく現状より議席が減ることはないだろう、なにも共産党の足をひっぱろうとして言っているのではない(むしろ増えると思う)。
そのような選挙協力をすれば、小選挙区では郵政反対の方が票が多かったくらいなのだから、民主党が政権を取る。そしてそれは共産党のおかげだから、政策面でもかなり共産党の意見が通るだろう。
 自民党は、政権党から滑り落ちると、本当に何もなかったことがばれ、銀行の取り付け騒ぎのような状態になるだろう。金の切れ目が縁の切れ目、と衰退していくことになる。もちろんそうなると、利益集団は民主党の中で手なずけることのできそうなやつに、それなりのアプローチをするようになる。確かに民主党の中にも実質は自民党と変わらない人間がたくさんいるから、場合によっては民主党は分裂するかもしれない。
次の選挙で、共産党は再度まともな方と組んで選挙協力をし、実質上自民党と同じ集団となった側を落とす。これを3回くらいやると、日本の政治は相当まともになる。
 ところが、一つだけ問題点がある。それは日本共産党が日本「共産党」という名称とともに共産主義を目指す党であるということだ。このままで支持を得ることは難しいどころか、民主党が「共産」党と組んでいる以上、全力を挙げてその点への攻撃がなされる。選挙民からはかえって警戒され、それをおそれた民主党の議員の側から手を切ろう、下手をすると民主党が先に分裂するかもしれない。

「民主連合」になれば
 私は、共産党は「社民」である必要すらなく(「社」というだけで抵抗がある人も相当いる)、「民主連合」がいいと書いた。本当に民衆の意見を代表すれば、日本人のほとんどが負け組となる以上、自然に社会民主的な政策が要請される。だから、民主だけで十分だ。もう一つは「連合」。民主的な人(共産党系の団体は、この言葉がとても好きらしい)ならだれでも仲間、というくらいのスタンスでいればいいと思う。
 そうなれば私も党員になるかもしれない。「民主」だけなら大賛成だから。ブロガー同盟よりもむしろ敷居が低いくらいだ(1%の党費は痛いが)。もし党員になったら、堂々と「政治に金がかかるなんてうそだ、そんなこと言ってるやつはナチスと同じで、ああいう宣伝、洗脳をしたいからお金がかかるといっているだけだ。彼らの政治が金のかかる政治であるだけだ。彼らのいう『政治』がどんなものかわかっただろう?事実、『民主連合』は、政治献金も政党助成金ももらわないで活動してるじゃないか。それは本当に人々に支持されているからだ。もう、どっちが正しいか答えが出たようなものだ」と訴えてまわってもいい。

共産主義を掲げない意味
 それは現実には「共産主義」を捨てることを意味しない。前にも書いたが、共産主義は目指してなるようなものではないと思う。党が指導をして共産主義を目指すという考え自体が、グラムシの指導者論からするとおこがましい。それだけでなく、現代に合わないレーニン的組織論(後で書くけど、定式化してしまえばスターリン)が、一抹の不安を感じさせる。この点は、確か田口=不破論争で問題になったところで、いわゆるほかの新左翼からの批判と異なり、けっこう痛いところをついていたように思う。私が読んだときはすでに、古本となっていたものだったのでいつ頃の話か知らない。今の党員の方はこの論争を知っているのだろうか。
 革命家というのは指導者ではなく、一種の触媒のようなものだ。抵抗なく人々が新しい制度を選択できる環境を作ろうと考えるだけで十分だ。
 もしその時に人々が共産主義を真に選択すればそれはそれでもかまわない。その可能性はないわけではないと思う。
 つまり、日本に民主的な政権ができ、少なくともアメリカの侵略に協力しない国ができれば、アメリカは日本の金なしに戦争をするのは相当難しくなる。ほかの諸国とともに武力行使自体が事実上困難な世界を作っていくことができる。
 何年かすれば、今までアメリカがひっくり返してきた民主的な政権がひっくり返せなくなり、アメリカが援助してきた軍事政権が、民主化される可能性も出てくる。そうなればだんだんに世界的に生活や教育水準が上がってきて、人々がその時に何を思うか、それはまだ誰にもわからない。一国でやると失敗するかもしれないが世界的にその気運が高まったときに何が起こるかはわからない。その時に、人々が目指すものが「共産主義」と名のつくものであろうとなかろうとそんなことはどうでもいいのではないだろうか。
 その時になって、「ああ、あのころの日本共産党が言ってたことが正しかったんだ」とわかってもらえるときが来るのではないだろうか。それともその自信はないのだろうか。
 校則にしばられない生徒が何を選択するか、その結論自体には興味はない。だけど、自由を謳歌する青少年の姿は見たい。

スターリン主義と日本共産党
 二段階革命論の話はどうでもよかったが、「thessalonikeさんが知らないで言ってるんだろう」という批判があったので、私は「そんなこと知らないわけないだろう」と書いたが、その話が一人歩きしてしまった。
 なんだか今度は、二段階革命論かどうかがマルクス主義の普遍的な命題、という話になっているようだ。
 もともと、社会主義革命は生産力の発展の結果、生産力と経済の仕組みの矛盾により起こるものだから、資本主義の発達した先進国で起こることになっていた。しかし、目の前のロシアを何とかしなければならないため、マルクス主義のロシアにおける一時的、かつローカルな適用とするため不均等複合発展(要するに資本主義の鎖のうち弱い輪を切る、だから遅れた資本主義国でも社会主義革命はできる)が考えられた。その革命論として一時的、ロシアにおけるローカルな適用で問題になったのが二段階革命論であって、マルクス主義の普遍的な命題というのは、ううむ・・・。
再度言うと、レーニンはその場の適用として考えたのであって、レーニンのやったことを完全に定式化し、普遍的な命題と思っているのはスターリンたちである(だからthessalonikeさんが「スターリンの呪縛」にかかっているというのはあり得ない。thessalonikeさんに言いたいことはあるけどそこは違う)。
 日本では、山田盛太郎らの「講座派」経済学において根拠づけられたように思う(わたし、スターリンがテーゼの何のというのはあまり詳しくありません)。しかし、戦後はその山田盛太郎先生の論じられた経済的な前提自体がなくなり、問題はなくなっている。
 しかし、二段階革命論の細かい話などどうでもいい。thessalonikeさんが知らないで批判している、ということはあり得ないことがわかればそれでいい。

ブロガー同盟との関係
 前のエントリーで、内紛やごたごたに見えないように、と書いたが、本来的には自由に発言できるのは当然で、それがまたいいところだとおもっているから、「丸くおさめたい」などと思っているわけではない。
 ただ、今のところブロガー同盟がどんなことをするというのでなく、できるだけたくさんの人にバナーを貼ってもらい、訪問者がブログを渡り歩くたびにSTOP THE KOIZUMIが表示され、「何だろうこれ?」となってほしいと思っている。政治的なブログだけじゃなく、いろんな人に貼ってもらった方がいい。もちろん、ほかに明確な事業でもあり、そのためにどうしても意思一致がということになれば、多少外からどう見えようと話すべきことは話すべきといえるが、いまのところはとにかく広げることだけを考えることになる。今の議論を見ていると、議論として最低限以上のことを言いあっているようにも思う(思い過ごしなら無視して)。

 私は最近の日本に、あの大統領選挙の時と同じ興奮を感じている。自分で、「何を興奮しているんだろう」と思う。thessalonikeさんが、選挙のあと眠れなかったというのはよくわかる。はずれて欲しいと思っているが、たっぷりと死票を吸い上げたあのときのラルフ・ネーダーがまた現れるような・・・・

※ いずれにしてももう共産党問題についてはやめます。けっこう消耗しました。今までの経験から絶対に進展しないと思っています。もし進展したら、今日この日から世界史が始まる、ということになるでしょう。
 共産党の方は私を「僧ガボン」だと思わないでくれればいいんですが。
 忙しいので、何も調べないで書いた(いつもだけど)から、不正確かも。「ドイツ・イデオロギー」には参ったな。書庫から取り出してみたら、線も引いて書き込みもしてあったのに・・・。何にしてもちょっと疲れたので、トラックバックもつけに行きません(返すことはあります)。

※ 何とかわかってもらえないかなあ、と思う。共産主義、スターリン主義、二段階革命論???・・・ヤメテ、あんたたち何者? という気持ちはほんとうによくわかる。
 しかし、最初のラルフ・ネーダーの話を思い出して欲しい。決して路線問題でも神学論争でもない。あした、あさっての人命の問題だと思う(11/9追記)。


by luxemburg | 2005-11-07 22:40 | 右翼とか左翼とか
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