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初の現職閣僚の自殺。最初に松岡利勝さんの御冥福をお祈りしたい。全ての人に、とにかく死なないでもらいたいと思う。人口の半分が子供といわれるイラクの人々を、理由もなく殺したブッシュについても同様である。生きて罪を償ってほしい。アラブのひとからすれば、ブッシュのような極悪人は死刑で当然と思うかもしれないが、ブッシュを殺してもまたひとつ命が失われるだけである。それにもっと怖いのは、もっと根の深い問題なのに誰かを殺して正義が実現されたかのように錯覚するおそれがあることである。アメリカの軍需産業は喜んで大統領の命を差し出すだろう。自分達が免罪されるのであればこんなに安いコストはない。
だから、今回の事件に関して、石原慎太郎東京都知事の、命をもって責任をとった松岡さんは侍だ、という発言には、強い違和感を感じる。死を賛美する人間が賛美するのは他人の死だけで、自分は醜く開きなおる。 死んではいけない。殺すことはなおいけない。そして死を賛美するような政治家を選ぶ国民であることは絶対にいけない。 安倍内閣は、教育改革など何かリーダーシップをもって進めているかのような「印象」をふりまいてきた。まったくのでたらめでも、ほおかむりしてつっ走れば、やがてばかな国民はついてくるだろう、と高をくくっていたのかもしれない。NHKに介入してピョンヤン放送顔負けのニュース番組を垂れ流させれば、どんなに中身がなくてもやりすごせるだろうと、まるでどこかの独裁者のように思っていたのかもしれない。 考えてみれば最初からそうだった。まず手をつけたのは、ヒトラーを真似たつもりか、教育「改革」だったが、やらせタウンミーティングの問題が生じて、明らかに仕切り直しが必要だったにもかかわらず、数の力だけで乗り切った。マスコミには「強行採決と書くなよ」と脅しながら「与党賛成多数の単独採決」ばかりで乗り切ってきた。そもそもこの多数は、選挙制度の歪みによって作られたインチキ多数である上に、安倍政権への支持で得られた多数ですらない。おじいさまの威をかりて政治家になり、小泉の威を借りてなんの正義もないごり押しを続けることをリーダーシップだと錯覚するこのひとの政治家としての資質には根本的に問題がある。 それでもほおかむりして押し切る。どうせ国民はバカだ、吠えられて右往左往する羊と同じである。それは安保改定のとき、街頭で荒れ狂うデモを尻目に、岸信介おじいちゃまが自宅でゆったりとくつろぐ姿を脳裏に焼き付けた少年は、これが帝王というものか、と思ったのかもしれない。 松岡利勝農水大臣を擁護するときも、法令に則り適正に処理が行われてきた、の一点張り。だれがどう納得するのだろうか。嘘も100回言えば真になる、しかし、その真はとんでもない形で実現してしまったことになる。 評論家の大谷昭宏さんは、本間正明氏の官舎愛人居住問題、佐田行政改革大臣、伊吹文部科学大臣の架空事務所経費問題と連続するのは、組閣時にきちんとスキャンダルについてチェックした上で人選をする(永田町では「身体検査」と呼ぶそうだ)ことすらせず、仲良し人事で選ぶワキの甘さとともに、官僚が安倍総理を頭が悪すぎるとバカにしているから協力が得られない、と指摘しておられる(「自然と人間」2007年2月号)。一方で、次を狙う自民党の「実力者」達の思惑もあるかもしれない。そうだとすれば彼は慇懃無礼なタヌキ集団にいじめられている構図になる。わたしは、この集団内の力学になんの興味もないが、この集団は金と政治と命をもてあそんでいる。 もうこれ以上の犠牲者は出してもらいたくない。引くに引けない状況に追い込まれた松岡さんとおなじように、この集団もまたこの政治をやめることなどできないのだろう。ピラニアとサメとアリゲーターを国会議事堂という水槽に集めるから噛み合いをやめないのだ。すべて外に出してあげれば無害になる。 ※ Kaetzchenさんのところコメントができないので、ちょっと書いておくが、松岡さんについて一行目「自殺」と書いたが、私もかなり疑っている。普通のヒモだと結構のびてしまうので、意外に室内で首をつるのは難しいように思う。その上、リビングのドアに布のヒモを引っかけて、というのは不可能に近いのでは?何かしっくり来ないものがあると思っている。遺書にしても妙に周到である。その上、中身がほとんどない。日本国ばんざいというのもどうも死に行くものが伝えたいメッセージというリアリティーがどこか欠けている。
by luxemburg
| 2007-05-29 20:50
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