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外相の諮問機関「海外交流審議会」が昨年11月にまとめた情報発信力を強化するための報告書は、政府とアニメ製作者らのポップカルチャー勉強会の開催や内外の新進気鋭の漫画家を対象とした「日本マンガ大賞」(仮称)の創設、国際的に人気のある漫画やゲーム作家を「アニメ文化大使」として海外に派遣することなどを提案。外務省は平成19年度予算案にも関連費用を盛り込んだ。外務省幹部は「若者を中心に日本の漫画の影響力は絶大だ。日本の外交に生かさない手はない」と強調。麻生外相も「(漫画は)外務省の官僚が逆立ちしてもできない役割を果たしてくれる。日本の文化を世界へ広めるための新たな担い手だ」と話している・・・だそうである。
日本に「売り」がなくなってきているのはみんなわかってる。どうにかしたい、という気持ちをもつのもいいことである。 そこでアニメに目を付けたくなる気持ち自体はわかる。私も日本のマンガ、アニメはものすごい高みにあると思う。マンガでは、「ブラックジャック」や「火の鳥」「きりひと賛歌」などは、男性性器で障子に穴を開けるだの開けないだのの、およそ低レベルなそこらの小説など及びもつかない内容のものもあるし、アニメでは「風の谷のナウシカ」「耳をすませば」など、社会や人生のありかたに迫る作品がある。個人的には、かわぐちかいじの「沈黙の艦隊」など、いまだに読み返しては考えてしまう作品はむしろマンガに多いかもしれないと思うくらいだ。 日本のアニメが優れていたとして、外国の出版社なり音楽業界なりがそれに着目し、日本のアニメをわが国でも売り出したい、と言い出せば別にそれは悪いことではないし、実はそれをきくとちょっとうれしい。ディズニーのような粗い筋立て、絵も日本のアニメからみたら手抜きしか見えないアニメばかり見てきた留学生に、宮崎駿が描く空気感のあるシーンを見せてあげるのは少し楽しみでもある(彼らは「もののけ姫」以降の作品などは知ってるが、その前のを知らない)。 しかし、政治家が勘違いするのはやめたほうがいい。優れた日本のアニメが世界に注目されるのは素晴らしい、しかし民間にできることは民間がやるのではなかったのか。日本のまんが・アニメが優れているのはあんたたち政治家には何にも関係がない。大きな勘違いである。自分が日本アニメの産みの親、とでも思っているのだろうか。 彼らは産みの親でも育ての親でもないし、アニメを代表する資格も何もない、ただのオジサンである。産経新聞によると、「「ゴルゴ13」をはじめ一週間に約20冊の漫画週刊誌を読破する意外な一面が広く知られるようになった」そうである。 え?それがどうしたの。そんなこと意外な一面でも何でもない。一週間に20冊のまんがを読む大人はわんさかいて、それを世間は「アホ」と呼んでいるだけのことだ。それを「読破」なんて評価するやつがいたら、そいつもアホといわれるだろう。 もちろん、描く側は違う。自分でもマンガを昔から描いて何度も入賞していた、となればそれは「意外」であるし、すごいということになるだろう。しかし、年中マンガを読んでいる大人は朝の電車を見渡せばうんざりするほどいる。みなさん、よく「読破」なさっている。 また、麻生がフランスのシラク、ロワイヤルに匹敵するほど勉強したひとで、理論派、知性派で通っているのなら「え、あなたでもマンガ読むの?」ということにでもなるだろうし、それは「意外な一面」といっていいかもしれない。ところが、麻生といえば、90年代後半、既にネットワークが一般化し、メディアだってフロッピーなんて誰も使わなくなっているときに、将来、名簿などのデータがフロッピーにはいるようになるだろう、などと小学生でもいわないレベルのことを平気でいう人間である。そのひとがマンガばっかり読んでいるといっても、意外でも何でもない、さもありなん、ということにしかならない。 流れに乗りたい政治家というのは、本当に恥を知らないもので、たしか「おしん」が流行ったときも、文部大臣が主演の子役を呼びつけ、「私も泣きました」などと人気にあやかろうとするし(作者も困惑していたらしい)、荒川静香さんが金メダルをとると「ロシアの選手がこけたときは喜びました。これでやったーってね」という発言をするレベルの人間が群がる。 アニメが人気となれば、早速かぎつけて現れる集団、そういうレベルに過ぎないのに、産経新聞のような翼賛新聞はまるで、柔軟な思考の持ち主のように持ち上げるが、朝の電車の中を見渡せば、その柔軟な感性のおっさんはいくらでも、掃いて捨てるほどいる。 そうして群がる政治家の中に、山本一太さんなるひともいて、これがまた極めつけのおかたである。前にも書いたが朝の森永卓郎のラジオで「消費税があがったから経済が冷え込むとは限らない。もっとがんばろう、となることだってありうる」。これが日本の政治家のレベルである。彼などは麻生がうらやましいのか、「永田町の「ミスター・ポップカルチャー」は、麻生太郎外務大臣(あの年代であそこまで感性が柔らかいのは驚異だけど)ではない。参議院議員山本一太なのだ!!」(彼のブログより)だそうである。 う〜ん。政治家には実に感性の柔かい人が多いようである。ロシアの選手がこけたら、なんていえる感性は常人に真似できるものではないし、麻生はフロッピーなんだから感性はふにゃふにゃなのだろう。それより、このレベルの政治家をリーダーと思ってくれる国民の感性の柔らかさに最初に感謝してもらいたい。 まあ、冗談はさておいて、私が問題にしているのは、こういう文化の側面に国が関与することに対する警戒感である。先日も海外のレストランが本当に日本食を出しているかどうか国がチェックし、「日本食認定制度」を作る、という話があった。この話などは「海外食べ歩きに予算を使うのか」という反発とともに、国が教科書にお墨つきをあたえ、日本文化にお墨つきをあたえ、またアニメのような文化的なものに、これをアニメ大賞だのアニメ大使だのとお墨つきをあたえようとする、それに対する警戒感である。 フランス大統領候補のロワイヤルさんは日本のアニメは女性蔑視、暴力的、ということをいった。わたし自身は、まあ確かにそういいたくなるマンガがあることも事実だが、いろんなマンガやアニメがあってよいとおもう。それ以上に何とも思わないけれども、政治家がその発言に反発し、日本のアニメとは、というようなことを考え始めると、彼らの「柔かい」発想では簡単に、「海外に出して恥ずかしくないアニメを認定しよう」と、権力的に内容に介入することになるのである。簡単に心の問題に立ち入るほど立憲主義が理解できない政治家たちの国では国民はこのレベルから心配しなければならない。おむつがとれていない子供を幼稚園に送り出すときの心配くらい大変なのだ。 マンガを読むのもアニメを観るのも構わない、どうぞご自由に。ただ、一人で静かに読んで一人で楽しんでもらいたい。そうして作品のよさに、心から感動すればよい。おしんに感動した政治家は別に子役を呼びつけてテレビカメラにとらせる必要はないし、特攻隊に感激した政治家が「心の問題」というのであれば、個人的にひっそりとヤスクニを訪れればよい。君が代が好きなら気のあう仲間とカラオケで思いっきり歌えばよい、ただそれだけのことである。 まぬけなマンガに洗脳される新たなB層若者の教祖になりたい、政治家たちが今日も醜い蠢動を繰り広げる。
by luxemburg
| 2007-04-29 07:27
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