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by luxemburg
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九条の会



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お嬢さま、立憲主義を考える
 軽井沢の西園寺別邸、スキーに疲れた麗子は、ばあやと洋館建ての別荘から雪景色を眺めながら、午後のお茶を楽しんでいる・・・




麗子 :なんだか、お玉さんのところ、立憲主義ですごいことになってるわね。

ばあや:あの話題で人を引きつけることができるなんてお玉さま、さすがでございます。

麗子 :それにしても立憲主義って難しいのかしら、なんだか”憲法を作ってそれに従って政治をすればいい"と考えている人もいるみたいね。

ばあや:Wikipediaにそう書いているからでございましょう。でもそれでは「立憲主義」を文字通りに読んだだけで、せいぜい40点というところでございます。

麗子 :40点。ずいぶん低いのね、でもとりあえず0点ではないのね。

ばあや:まず、憲法を広く、国家統治の基本的なルールと考えれば、憲法を持たない国はありません。ルールが王様の頭の中にだけあるような場合もあるでしょうが。それを一応文書の形、憲法という形式に成立させるだけでも意味はございます。最低限ルールが文書化されていれば、その場限りの行き当たりばったりの政治にはなりませんから、国民の側に統治についての予測がつきます。

麗子 :だから40点はもらえるわけね。じゃあきっともう少し高くするには、ルールを決めるだけじゃなくて、その中身が問題になるのでしょう?

ばあや:さすがはお嬢さま、聡明でいらっしゃる。まず、権力行使の対象とされる側の権利を保護する、正しい法でなければなりません。

麗子 :正しい?確かに「権利:right」は正しいという意味もあるけど、同じことなの?

ばあや:はい。日本語では権利という文字は「力を伴う利益」のようなイメージで、まるで「主張するとちょっとワガママ」という印象がございますが、英語だけでなく一般に正しいという意味を持っているようでございます。

麗子 :権利を保護する正しい法・・・でも、その正しさはどうやって得られるの?まさかソクラテスやプラトンに聞くんじゃないんでしょう?

ばあや:はい。確かにソクラテスも英知ではございますが、この正しさというのは長い年月にわたって裁判などを通じてだんだんに得られたルールでございます。

麗子 :裁判の積み重ねで?そんなもので得られるのかしら。

ばあや:確かに裁判というと、川島武宜さまが「科学としての法律学」でご指摘のとおり、なんだか最初から結論が決まっていてこじつけているだけ、という感じがあるかもしれません。しかし、バートランド=ラッセルさまが、国と国の紛争を考える例を挙げて、たとえば「北朝鮮が、イラクが」というと具体的な国名に引きずられて公正に判断できなくとも、「A国がこうしたらB国が」と抽象化するだけで意外に冷静な判断になり、真理に近づく努力ができることを述べておられます。つまり、過去の抽象化されたケースの蓄積からルールを抽出していくことによって、だんだんに「正しさ」が得られる、経験的な英知というものがあるのでございます。

麗子 :ということは立憲主義は、長い時間をかけて得られた権利を保障する正しい法を定めることが重要なのね。

ばあや:はい。当初は貴族たちの身分的な既得権益を認めさせるという形で立憲主義の萌芽が見られました。イギリスの市民革命もその延長上で捉える見解が多いようです。

麗子 :どこかでそれが単なる既得権益ではなくなってくるのね?

ばあや:はい。アメリカ独立革命で、すべての人間は造物主によって与えられた天賦の人権(自然権)があることを確認し、それを保障する憲法が正しい法であるとされるようになりました。天から自然に降ってきた権利のようにいわれますが、それは説明方法にすぎず、長い長い人間性を求める歴史の中で得られてきた正しさといってよろしいでございましょう。そういう意味では、実は一種の既得権であるともいえるのでございます。

麗子 :ただ、貴族という身分上の権利ではなく、人間として持っている権利を保障するということね。そしてその自然権を保障する目的で「正しい法」を定め、それに従って政治を行うことが立憲主義ね。

ばあや:かなり近づいてまいりました。権利を保障することは、その一方でそれまで権利を侵害してきた統治権力に制限をかけるルールでなければなりません。
 フランス人権宣言は、その自然権を前提として「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていない社会は、すべて憲法をもつものではない」としております。これが立憲主義をもっとも端的に表す言葉といってよろしいでしょう。このように自然権を保障するために国家の権力を制限し、そのために権力の分立をとる「近代立憲主義」こそが真の立憲主義といえるのでございます。

麗子 :自然権を前提としない近代以前の立憲主義とそこで区別されるのね。ところで日本国憲法は近代立憲主義に立脚しているの?

ばあや:もちろんでございます。憲法97条は人類が長い年月をかけて獲得してきた人権の重要性を規定し、だからこそ憲法が最高法規であって政治権力を拘束する正しい法だと宣言しております。もちろん、そのために権力分立を取り、少数者の人権侵害を是正するために法の支配の原則をとっております。

麗子 :だから97条は基本的人権を「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託された」と書いているのね。ただ「自然権」とか「天賦の人権」などといって自動的に降ってきたような軽々しいものではないことがこれでわかったわ。ところで、明治憲法は立憲主義憲法なの?

ばあや:自然権を前提としませんし、三権が外見的に分立しているようですべて天皇が行うとしており、近代立憲主義憲法ではございません。ただ、それでも「立憲主義的に」運用されることもございますし、成り立ちが立憲主義であっても国民がそれにあぐらをかいていたら、簡単にぼろぼろにされて見る影もない国になることもございます。ですから、生まれだけで立憲主義である、ないという議論にそれほど意味がないかもしれません。

麗子 :なんだかせっかくいい憲法を持つ今の日本の話みたいね。やはり日本は、自分で市民革命を経験してないからダメなのかしら。

ばあや:たしかにハンディーはあると思います。ですが、別にすべての国において流血がなければ本物ではないなどという必要まではないと思うのでございます。世界人権宣言は人類のすべてが達成すべき共通の基準という考え方をしております。人権はその国だけの文化のようなものではなく、世界の人たちが努力してきたその上に私たちがさらに一歩を進めることは十分できるのではないかと思うのでございます。日本人はむしろそれが得意なので世界をあっといわせてきたのではないでしょうか。どうしてこの憲法を活かすという面で「名誉ある地位を占め」ることができないのでございましょう。それをするために、我々日本人は過去、現在、未来の、世界の人々から「信託」(97条)されているのでございます。




 わかりやすく・・・は難しいです。ちょっと立憲主義の一つの内容ではあるのですが、「法の支配」に偏った説明をしてしまいました。まあいつも通り、思いつくまま気まぐれに書いたものですので、すみません。
 Wikipediaの説明は40点などといいましたが、文脈次第です。立憲主義=憲法による政治という命題を、「王様が好き勝手やってきた、それを憲法に基づいて政治をするようにした」という歴史の流れで捉えれば、「そうか、権力を制限するルールを権力者側に押しつけたんだな」という立憲主義の正しい命題になると思います。
 それにフランス人権宣言が出ていますから説明としては本当は悪くありません。ただ、お玉さんのところでコメントを寄せる人が、文脈なしに引用するから誤解を生じさせるということです。
 なお、お玉さんのところではおぼえたて(?:そもそも「覚え」もできてないのかも)の法律用語をむちゃくちゃに並べて、ウソばっかり書いている人がいて楽しいのですが、直してあげようにも入り組んだ複雑骨折を正しく治してあげたら、「よくも頭を股間に付けたな」と叱られそうだし、共謀罪もあるので、そっちの勉強をします、すみません。
by luxemburg | 2007-01-20 22:25
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