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by luxemburg
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九条の会



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また卒業式、入学式のシーズン----君が代ねえ
 先進国ではそもそもこういう儀式での威厳付けのようなものをしたがらない国が多いのに、日本はこういう文化的な側面が問題になったときには、たいてい後進国側に入ってしまう。
 愛国心の塊というイメージのフランス人でも、歌わない、そもそも知らない、だまされない限り歌わない歌、それが国歌ということなのか。まあ、脅されて歌うより、だまされて歌うほうが楽しいけど。



 東京都では、結構多くの子供が、君が代を歌わないと先生がいじめられる、ということを知っているらしい。教員に対する強制だけでなく、生徒が立たないと教員の指導が問題とされるらしい、もはやファシズムの入口に来ているというより、一歩入っている。こういう相互監視のシステムまで使って強制する、もはや戦前責任が問題になる、という言葉を実感として感じる。
 もう卒業式自体いらない、という気にもなるが、どうしても節目が大事なら、子供たちに投票させてみたらどうか、「卒業式に歌いたい歌は?」と。私の知っている限りでは、最近では「世界にひとつだけの花」が小中学校ではダントツの一番人気。君が代も候補に入れて選定すればよい。もちろん生徒が歌いたいなら歌えばよい。音楽的にはちょっと変な曲としか思えないけれど、歌いたいものを歌わせないという強制なんてしたくない。歌は歌って楽しいものであるはずだからだ。
 実際のところは、強制されて歌う君が代は、どこか怪しげで、悲しげで、しかも超小声なものだから、歌に対する冒涜かと思えるくらい。あなたにとって卒業式とは、というと、いやな歌を強制される不愉快な経験、としてしまうのはかわいそうだ。
 さらに、こどもたちだけでなく、父母にアンケートをとってみたらどうか。卒業式の主役は子供か、国か。そして、子供たちが歌いたい歌についても投票し、子供たちが卒業式を作りたいというアイディアについてどう思うか、と。おそらくフロア式(全員が同じ高さでやる式)や手作りの卒業式が行われてきたのはこういう発想からだろう。
 そして子供たちが卒業式を作っているのをみて、子供たちの成長を喜び、涙が出てきたと言われる卒業式はこうやってできてきたのだろう。
 そんなことをしたら左翼教員が牛耳る、と思うかもしれないが、ではこのような卒業式で「民衆の旗・・・」と必ず歌われたとでもいうのだろうか。もし子供たちの手作りの卒業式は「左翼」教員によるなら、(無気力人間に続いて)「左翼」はほめ言葉?

 三島由紀夫は、愛国心は義務ではなく権利である、という。
 たとえばAという国がBという国を侵略し、苗字をA国と同じようにせよ、学校ではA国の言語以外使うな、と強制したとしよう。B国の人も生まれ育った郷土を自然に愛し、親からもらった自分の名を愛するだろう。殴られても、蹴られても自分たちの郷土の歌を歌い、祖国の歌を歌いたい。愛国心は権利だからだ。
 その人たちはきっと思うだろう、もし愛国心が押し付けられるなら、その愛の対象は私たちが愛すべきものとは別のものに違いない

 なにをいう、別の国に押し付けたのならダメだが自国なら問題にならないじゃないか、というかもしれない。
 そうだろうか。自国なら、自分たちが愛すべき自分たちの国に違いないのだろうか。

 国を愛せよといわれた人たち、私の祖父などは「お前たちは一銭五厘である」と言われたといつも語っていた。だから馬のほうが費用がかかっているから、馬の世話をしくじると、死ぬかと思うほど殴られた、という。一銭五厘、それは召集令状の郵送料。無意味な戦争であっても、盲目的に命令に従い、ただ同然で命を差し出す、そのために必要なのが愛国心だ。決して、仲間を、郷土を、自分たちの文化を愛するものではない。
 それでもまだ言うかもしれない、そういったって国があっての国民ではないか、家が倒れたら中の人が押しつぶされるように、国家というわれわれのとりでを守るのはわれわれの義務だ。
 国家がわれわれを守るためにいてくれる、そう信じる人は幸せだ。私もそういう気持ちになってみたい、そういう気持ちにさせてもらいたいものだ。そうしたら、なおのこと強制はいらない。

 組織的に愛国心を育てるような教育を受けたわけではない人たちも弾薬が尽きると、石を投げて侵略者に立ち向かう。おそらく、自分たちの郷土、仲間の中で自然に生きている人間に、自然に育つ郷土への愛なのだろう。逆に、そういう仲間や郷土から宙に浮いて観念で国家を論じている人は、仲間や郷土を愛する気はないのかもしれない。

 あ、どうしてもこういうとき一句でちゃうんだよなぁ。

 友達が 少ないやつほど 愛国心

 アメリカに米搗きバッタのようにぺこぺこして、へらへら笑い、媚びる政治家に代わって、アメリカの牛肉が危険なら体を張ってでも国民の命を守ろうとする政治家、沖縄で女性が暴行を受けたら烈火のごとくに怒ってくれる政治家が育てば、強制なんてしなくても、自然にわれわれを守ってくれる国家であるという愛着はわくだろう。

逆に、強制しなければ愛国心が育たないような国家だとすれば、それはきっと・・・
 愛国心は悪党の最後の隠れ家である:サミュエル=ジョンソン

あかるく、暖かく、オープンなUnder the Sunに参加しています。一緒にそういう社会を目指しませんか。




 いつものことながら傑作。雑談日記さんのGIF。
また卒業式、入学式のシーズン----君が代ねえ_e0068030_1244132.gif

 しかし、この発言で思うのは「他人の不幸を喜んじゃいけませんが」と前置きしておけば他人の不幸を喜んでよくなるかのような言い草。
 品性?知能?いや両方か。
by luxemburg | 2006-03-07 20:10
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