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by luxemburg
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九条の会



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鳥越俊太郎の「淫行」?
『鳥越氏「女子大生淫行」疑惑は、本当に「取るに足らない」ニュースなのか 主要メディアはそろってスルー』
現代ビジネスで牧野洋という人が書いておられる(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49295)。

 一言でいうと、こういうことだろう。鳥越俊太郎さんの14年前の不倫があったかもしれない疑惑は、大手メディアがスルーしているが、アメリカでかつてこういう問題が起こって、有力な大統領候補が立候補を取り下げる事件があった。重要でないと主要メディアが考えているのであれば見当違いである。

ということらしい。そして、アメリカのメディアの変化についてこのように言われる。

「米国の政治ジャーナリズムは「ハート前」と「ハート後」で別物になったとまでいわれている。それをノンフィクションで浮き彫りにしたのが2014年出版の『真実はこれだ:政治がタブロイド化した1週間』(邦訳なし)だ。著者のマット・バイ氏は「政策論議を深めるのではなくスキャンダルを暴く――これが『ハート後』の政治ジャーナリズムの基本スタンスになった」と嘆いている。堀江氏(注:「女性問題で叩くのもういい加減止めにしない?」とツイートしている)と同じ問題意識を持っているわけだ。」

 だが、これは悪い変化ではないのだ、と著者は考えるらしい。

「ゲーリー・ハートは数週間にわたって公の場で不倫疑惑を全面否定していた。そんな状況下でわれわれは不倫現場を目撃した。つまり彼は明らかにウソをついていたのだ。これがニュースでないとしたら何がニュースになるのか?ハート氏は「女たらし」というよりは「偽善者」であり、人格の面で問題を抱えているから、このことについては有権者に伝えるべき
(中略)
いずれにせよ日本の政治ジャーナリズムはまだ「ハート前」の世界にあるようだ。」

 結局、この著者は、アメリカはイエロー・ジャーナリズム化したというより、ウソをついた不誠実、偽善を問題にしているのであり、候補者の人格を問題にすることは、ジャーナリズムの進歩・進化であると考えているらしい。

 ゴシップ記者は、自分の提示した問題をただのゴシップとは言われたくない、さも重要で価値のある問題と主張したいだろうから、「私はゴシップを追い掛け回している三流記者とは違い、アメリカ大統領になる人間の人格を問題にしているんだ」と言うだろう。それをまた生真面目に鵜呑みにするというのはどうなのだろうか。受け手の判断次第だが、ゴシップ記者は、飯の種として下半身スキャンダルを追う、下品だと言われたら、いやいや自分が問題にしているのは人格だとでも反論しよう、というのが正直なところではないかと私は思う。

 この著者の決定的な間違いは、鳥越氏がウソを言っていることが確定していないということである。ゲイリー・ハートの場合、現場を押さえられ、ウソであることは確定した。だから嘘つきというのも考えられなくもない。だが、鳥越氏の場合、不明なことが今の段階では多すぎるのだ。実際、文春は相手の女性への取材すらしていないようで、その記事を前提に鳥越氏がウソをついている、というのは無理だろう。逆に、この選挙期間にそんなでたらめな報道をする方を問題にしたほうがいい。
 その後、はっきりと鳥越氏がウソを付いていることがわかったら、その時点で「人格」を問題にすべきだろう。

 いや、まだ事実がはっきりしない段階でも、それをはっきりさせるのがメディアの仕事だろう、という反論もあるかもしれない。もしそうなら、きちんとした取材で、鳥越氏がどういうウソを言っているのか、さすが大手新聞の取材力は違うな、というところを見せればいいだけのことだろう。おそらく、それはやっているのではないか。ただ、伝聞や推測記事を書く週刊誌とはちがい、やはりちゃんと裏が取れないのであろう。だから報道しない。この著者はそういう推測が出来なかったのだろうか。

 で、鳥越氏がウソをついていると明らかになったとしよう。だが正直なところ、不倫問題でウソをつきました、ということが、政治家の「人格」の問題になるのかは疑問である。それは結局、妻との間における誠実、不誠実の問題で、選挙民がその家庭、夫婦関係に立ち入って、あんたの人格は・・・、と問題にするようなものではない。
 実際、そういう場合ほとんどの妻は、嘘でもいいから否定してほしい、という気持ちを持っているという。つまり、やりました、というのが誠実で男らしいとは思っていないのだ。どんなに疑わしくても完全否定し続けてほしい、というのが本音である。これは、実際そういう家庭問題が起こった女性何人からも聞いた話だ。そんなこと知ったことか、と思うかもしれないが、逆に言えばそう言う妻の気持ちの世界にズカズカ上がり込んできて、人格だの何だのという方がどうかしている。


 著者は、ドラッカーの経営書を挙げて、経営者、リーダーたるものは人格だ、という。

 では聞くが、従業員が社長に、「社長、浮気したことありますか」と聞いたとする。
 たいてい「いや。私は妻一筋だよ」と答えるだろう。

 それで、実はその社長、若い頃やんちゃしていたことがわかったとして、従業員はその社長にはついていけないと思うだろうか。
 むしろ、従業員がついていけないと考える社長は、そう聞かれて、武勇伝をペラペラ話すような社長ではないのか。
 つまり、社長に求められる人格とは何か、という話を、「人格」という一般論でマネー・ロンダリングしてしまう(ウソ→人格に問題→経営者失格。字面だけを見ると正しいように見えるが実は話が途中で変わっていることに気が付かない)から、こういう著者の文章に騙されるのだ。

 現代ビジネスというサイトは、医療の問題など、極めて貴重な提言をなさって素晴らしいサイトなのに、こんながっかりな文章も掲載されることがあるのかと思うと残念だ。

by luxemburg | 2016-07-30 09:31
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