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自民党改憲草案について(前文その3)
第三文
 日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。


 やっとここで、国民が出てくる。
 国民とくれば基本的人権が保障される話だろう、と誰もが思う。本当なら、それが第一文に出てくるべきなのだが・・・。

 なんと、初めて出てきた国民は、「国と郷土を誇りと気概をもって自ら守り・・・」。

 国、国ときた後で、国民は、その国を守るべき存在なのである。国があっての国民、という考え方であり、日本国憲法、というより、西欧近代文明が作り上げてきた憲法と真逆の憲法である。日本国憲法は、国民があっての国とする。草案は基本的人権尊重主義と正反対の原理に立つことを示しているということだ。
 いやいや、西欧とは異なる独自の憲法があっていいではないか。日本は固有の文化を持つ国なのだから、という反論も考えられる。
 だが、こと憲法や人権に関しては、それは無理というしかない。日本が特別な宗教でももち、その宗教の法が憲法より上、と考えている国民は、いないだろう。トルコなどアジアの国も揺れ動いているが、日本の場合、東アジアの文化ですか、それとも西欧民主主義の仲間入りしますか、と言った場合、ほぼ答えは決まっている。もちろん、固有の文化を尊重するにしても、憲法より上位の価値とは思っていない。

草案は徴兵制の根拠となりうる


 国土防衛義務を国民がもつ、しかも「誇りと気概」をもつことを意味するこの文は、国民の第一の義務がそれだというのだから、間違いなく徴兵制に繋がる。前文は、抽象的な理念を述べるものが多いとしても、その中で明確な内容を持つものは、法規範性を有する、と考えられている。法規範性とは「前文に国土防衛義務が書かれてるんだから、国民はこうしなさい、ということだ」と主張できる根拠になるということだ。

自民党草案は基本的人権を保障しない


 次に、基本的人権を尊重する、といかにも基本的人権尊重主義に立脚するかに見えるのだが、これは近代において理解されてきた基本的人権とは逆の発想に基づくものだ。
 憲法ができた時代、信教の自由をみとめろ、所有権や経済活動の自由を認めよ、という主張は国家に対してなされた。その人権のカタログ(権利の章典)をつきつけて、国家にその遵守を要求する、それが基本的人権である。つまり、基本的人権とは、国に守らせるものであって、国民同士が守りましょう、というものとは違う。
 よく、地方都市の役所では、「基本的人権を守りましょう」「人権習慣」などと書かれているが、おそらく公務員試験に憲法がないために、こういう誤解が生じたのだろう。
 国民同士が守るとか守らないというのは、譲り合いだとか寛容とかいう、いわば社会生活上のルールの話であって、基本的人権ではない。実際の順序としては、憲法で定め、国に守らせる、その結果、国全体の価値基準として、個人の尊重や男女平等が浸透する、そして、我々の社会生活にも活かされるべきだ、という意識が浸透する、ということになる。その出発点の基本的人権を憲法の、しかも冒頭に書く場合に、主客転倒した書き方では、国会議員の選挙は憲法の試験ではない以上、やむを得ないのかもしれないが、基本的人権の本来的な姿ではない。

草案は、もはや近代憲法の体すらなさない


 「(日本国民は)和を尊び、家族や社会全体が互いに助けあって国家を形成する」
 これは、国民に道徳を垂れているのだろうか。憲法では国民が国に対して、ああしろこうしろということはあっても、逆はない。現行憲法では、子供に教育を受けさせる義務、勤労の義務、納税の義務しかないが、いずれも国民の権利実現のためである。憲法というのは、国民がそれを国に守らせる規範であるが、国民同士がどう過ごせ、ということは書いていない、というより、そんなことを書くスペースなどない。特に前文において、大切なことを一切書かず、国民が互いをどう思いあえ、と規定するとなれば、これはもはや憲法ではない、というより、憲法とは何か、そのものを理解していない、不思議な人たちがこの草案を作ったということなのだろう。

「和を尊び」
 「和をもって貴しとなす」とかいう、聖徳太子の一七条の憲法を、日本最古の憲法として、それにちなんだのかもしれない。だから、近代立憲主義の憲法を理解しないのだろう。

「家族や社会全体が互いに助けあって国家を形成する」
 これは、家族的国家観ということだろうか(国家観については前に書いた)。近代の西欧では、自分たちの権利を侵害する王政を倒し、新たにいわば用心棒として国家を雇った、国家というのはそういう成り立ちを持つものと考えられている。それは武器も軍隊も持つ存在だから、絶対に暴走することのないように常にコントロールされなければならない。つまり、国民のために、一定の機能をもった国家を創設する、こういう機能的な国家観が近代立憲主義を支えている。その考え方によると、そもそも国家というものができた
 ところが、自民党草案は、家族、社会、国家と自然的な形で形成されてきた、と考えるのだろうが、この国家観そのものが極めて特殊な、日本は他の国とは異なるという独特の、よく言えば、自尊心をもった、悪くいえば思い込みに囚われたものになっている。ただ、憲法において、自分の国は他とは違うのだ、と規定することが安全保障にとって極めて危険であり、自民党草案もそれを理解した上で戦争を予定し、更に国民に国防の義務を課すのであろう。そうしてまで守りたいほど自分たちの国家観が大事であり、憲法はその国家に従属するものであり、さらに国民はその憲法に従属するものである、という考えに立脚している。
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by luxemburg | 2016-07-21 18:01 | 憲法
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