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by luxemburg
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前の回の最後で、民主主義とグラムシについて考える、と書いたけれども、先に言っておくと、実は私には「国家」イメージはあまりない。だから最近の天皇家がどうという話も元々興味がない。むしろ、みんなでいじくり回してかわいそうだ、彼らだってこのように平等に生を受けた一個の人間なのに、と思うだけだ。
で、国家イメージの話だが、何でも国家を単位にして考える人がいる。 たとえば、学校で「君が代」を歌うのは国民である以上当然だ、という。では、なぜ市民である以上柏市歌を歌うのも当然だと言わないのだろう。県民である以上鹿児島県歌を歌えと、なぜ躍起にならないだろう。 結局のところ、国家という単位を絶対のものにしたいという意図が働いているか、その意図に気付かず振り回されているか、というところだろう。 先日逮捕された民主党の西村という議員は、2004年2月の「教育基本法改正促進議員連盟」の設立総会での次のようなあいさつをしているらしい。 お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国ために命をささげた人があって、今ここに祖国があるということを子どもたちに教える。これに尽きる。 ということを教育の基本と考えていたようだ。この人は政治家だから、こういう観念を利用したい側の人といえる。 国家の単位を絶対化しない元々、法王、国王、領主など各種の権力が多元的に存在していた(前のおさらい参照)。それを近代国家は、法王から独立し、領主の権力を国王に集中させていくことによって、単一次元の国家権力に集中させていった。近代国家の器はその時にできあがった。そして愛国心を利用して戦争をし、植民地を獲得する、逆に植民地側は、独立のためのナショナリズムを育てようとする。権力者にとっては国民を戦争に動員するためにとてもがいい。特に日本は国家的にそちらに引っ張っていこうと必死で、実際卒業式で国歌を歌う国なんていわゆる先進国にはほかにないといってよい(文部科学省ホームページより)。 国家のイメージを必要以上にふくらませる人によって、我々は何でも国家単位で考えるようにしむけられている。 アメリカは、ソ連(ロシア)は、中国は、スウェーデンは、と語るときに、なぜかその国家が人格を持つかのように、憎らしかったり、悪魔のようだったり、理想の国だったり、一定のまとまりある集団を想定してしまわないだろうか。しかし、それ自体が操作された観念である、というところからスタートすべきだと思う。 だから、「政治をどうするか」という場合に「国家の政治」を思い浮かべるのはすでにその作られたイメージに引きずられているといえる。 世界市民とか世界政府とか「世界市民」だ、とか「プロレタリアートに祖国はない」、そして「世界政府樹立を目指そう」という考えなのか、といわれそうだがそれは違う。 こういう反応もステレオタイプで、世界政府だのなんだのを「国家に代わるもの」として超越した存在にしたがる、同じ方式の考え方にすぎない。考え方を変えないまま単位だけ変えようとしても、大きなレベルで同じことが起こるだけだろう(もちろん国境がなくなる世界を想像してみる、と歌う人はただ単純に世界政府なんて考えておらず、その前提までふまえて歌っているわけだが)。 私は、別にそういうふうに構えているわけでもない。もし人間をしあわせにするうつわとして必要だと思えば国家もいいし、地方自治体も地域もいいし、家族もいいし、会社も学校もいい、それだけのことで、世界市民なんていう気も特にない。国家が先にあるのではなく、最初に個人、なんて言う気すらない、自分と仲間たち、くらいの感じ。それぞれの場面に必要な「うつわ」を手段として選んでいこうというスタンスにすぎない。 個々の人間は宝石のようなものであって、それを入れる器はあくまでも従にすぎない。だから、宝石箱がいいならそれに入れればいいし、金庫が安心ならそれでもいい。宝石箱を守るために宝石を泥棒に投げつけるような本末転倒をおこさなければ、それでいい。器は宝石に合わせて便利な物を使えばいいだけだ。 こんなことは元々市民革命の時代から誰でも考えたことなのだが、なんだかそれが忘れ去られているように思う。憲法13条はまさにこういうことを定めているのであって、別に私が特別なことを言っているのではない。 だから、どうしたらいいかというのは元々憲法などにもヒントはあったし、さっきの「国歌の扱い」などでもわかったとおり、どこでもある程度やっていることなのに日本では行われていない。結局当たり前のことを基本から固めていけばいいだけだ。 ※このブログはトラックバック承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
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