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by luxemburg
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九条の会



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民にできることは民に?----建築より国家のデザインを語れ
建築士が構造計算書を偽造し、震度5で倒壊の危険があるマンションが何棟も建てられている問題は、件の建築士がまたあまりに淡々と話す上に、全体像がまだ見えず、なんといっても我々自身の足下の問題でもあるので、テレビをにぎわしている。
 今わかっていることで一つ問題があるとすれば、検査機関が民営化されていたということである。



国鉄分割民営化のとき


 JR西の事故の時にも思ったが、「利益優先主義」などと何が言いたいのかわからないような批判をする前に、そもそも国民の足である国鉄を分割民営化するのはどうか、過疎化に拍車をかけるだけではないのかという議論をきちんとしたのか(何となく事故報道の時にもこの問題を避けようとしていたように思われる)。鉄道はその国のデザインに関わる公的な意味合いをもっており、簡単に民営化できるものではない。なにをもって「民間にできる」と考えたのか。
 なお、EUでも鉄道を民営化しているではないか、と表面的な議論をする人がいるが、EUでは各国間の乗り入れの問題から運営だけを民営化した(上下分割方式)のであって、インフラは国有のままである。何もかも国有化して事故を多発させているのはイギリスで、日本の国有化はイギリス型ということになる。
 先日、どこかのテレビ番組で中曽根元首相は、国鉄労働組合がつぶれて、総評がダメになって、日本の政治の流れが変わったんだと得意気に答えていた。やはり意図はそういうところにあったか(最初からわかっていたけど。もう一つ言われていたのは汐留車庫跡の再開発の利権)。

郵政民営化のとき


 郵政民営化について労働組合という論点を出す人は少なかった。
 もう一つでていない論点として、郵政省は、当時放送法により放送局などの監督権限を持っていて、しかも郵政事業自体が独立採算で行われているので、ほかからの圧力に強かった。そう考えると、放送に対する圧力の防波堤になっていたという側面もある。こう考えると、イヌ、じゃなかったNHKの番組に介入した政治家が調子に乗ってしまうのもつじつまが合う。もちろん、「ノーパンしゃぶしゃぶ」などの報道がなされ、恥をかいた勢力からすると郵政省をつぶしたいという気持ちは当然といえるだろう。なお、ノーパンしゃぶしゃぶの情報を出した旧三和銀行(高杉 良『金融腐食列島』に詳しい)は、不良債権の少なさなどから優良銀行だったのに、東海銀行との関係、さらに執拗な検査ののちに事実上つぶされることになった。
 さらに言うと、ヤマト運輸は政治献金をしなかった。実際、故小倉昌夫(クロネコヤマトを始めた元社長)さんは、「政治献金も一銭だってしたことない。だって株主総会で『献金が会社の業務にどういう関係があるんだ』と言われたら答弁に窮する。政治献金は背任そのものだ」と言っていた、硬骨漢である。こういう会社は、路線の認可を申請してもいつまでも待たされるのに、政治献金をしている会社はすっと通る。この郵政「改革」は「自民党に政治献金しない企業はどうなるか見ていろ」という見せしめの意味もあると思われる。

 だから普段、水戸黄門みたいなストーリーの決まり切った番組、見てもいいけど、「あれ、これ現代といっしょやんけ」と気付けよ、なんて怒ってしまう今日この頃、皆さんいかがお過ごしですか?(パクるな!)。って書いてたら、「きっこのブログ」はいままさにこの話題だった。

民営化自体をもっと議論すべき


 というわけで、前にも書いたが、この中曽根さんの時から日本は変わっていった。
 民間にできることは民間に、といいながら、問題は何が民間にできることであるか、それをきちんと検証したことはあるのだろうか。
 郵便事業にしても、隣町に出しても北海道から沖縄に出しても同じ料金というのは性質上民間の原理ではできないことだ。だから前島密は郵便事業を公的に運営する必要を感じたのだろう。簡易保険についても、職業上の制限ある一般の保険と比較すると、セイフティーネットの問題であるという見解もある。
 何が民間にできることなのかを説明することもなく、「公務員を減らす」「民間にできないなんて民間の人をバカにした官尊民卑の考え方」などと愚にもつかない理由を並べ立てて、「改革」を推し進めようとする・・・・

 公務員を減らす、というのは国家の負担を楽にすることがなければ無意味だが、もちろん郵政事業で給料に税金は支払われていない(これに対する低俗な反論はあるらしいがパス)。
 民間にできるできないというのは、何が公の仕事なのか、という政治家が本来考えなければならない国家のデザインの問題であって、どちらが尊でどちらが卑などという話ではないのは明らか。その国家のデザインを語ることが一切できない人間が政治をしていることの証左。



結局国家像を語れるかどうか


 国家の像を語れない・・・「改革」といったって、それ自体は何の像も結ばない。たとえばただ単に「心を入れ替えます」と言ったって、どんな心になるつもりなのかわからないのと同じだ。

 その際に語りうるとしたら、過去である。過去をきちんと振り返るなら像を結ぶことはできなくはない。たとえば、「今まで自分は勉強しませんでした、心を入れ替えます」というなら、どういう意味かはわかる。
 自らが政権党であった以上、「改革」すべき対象は自民党政治であるはずで、その自民党政治がどう悪かったかを語り、その自民党の中でぬくぬくと地位を保全し、その上親の七光りの下で世間のことも何も知らないできた過去をきちんと語ってもらいたい。それなら「改革」の意味は非常によくわかる。
by luxemburg | 2005-11-22 17:28
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