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あなたも反小泉ブロガー同盟へ(3)----右翼・左翼の処方箋
 右翼と左翼が協力できるという話の続きなので、こういう言葉自体使いたくないけれども、右翼だとどういう方向性、左翼だとどう、というふうに書いていく。最終的には、あまり変わらないという話になると思う。



右翼と左翼
 これを定義しだすと、延々と続きそうだから、叙述できるが定義できない、という概念であると考えて、だいたいのことを書いておくと、右翼は不正に対して少数の志士が立ち上がるエリート支配を考える。左翼は権力は腐敗するから、権力そのものをなくし、民衆が等しく権力を分有させようとする民主主義を理想とする。
 日本だと左翼というとマルクス主義もプラスされるが、難しくなるので、一応上の考え方で進んでいくことにする。

それぞれの処方箋
 右翼は、基本的に民主主義にはネガティブなとらえ方をする。国民みんなに統治の能力があるとは考えないので、少数の志士が「君側の奸」(くんそくのかん:君主のそばにいて、政治を誤らせる悪者)を討ち、清潔なエリートによる支配を目指すことになる。
 左翼の場合、民主主義、平等という価値に肯定的で、人々が平等に統治権力を分有することによって権力者をなくす、逆に言えば誰もが権力者(治者と被治者の自同性)、という方向を考える。従って、言論を通じて人々に社会の不当性を訴え、民主主義的に変えていこうという方向性を持つ。

有効性から考えると
 右翼的な見解だと、即効的に政治権力の中枢を占拠できることになるが、現在は軍事力で負ける可能性が非常に高いから軍隊中心のクーデターしかないことになる。それが統治能力を有する可能性は非常に低いというか、誰かに操られている可能性が高い。
 その点では左翼のほうがよさそうにも思える。民主的というのが耳ざわりもよい。
 確かに、「ペンは剣より強し」ということで、武装蜂起が軍隊に負けても民主主義なら勝てる、といえそうだ。しかし、軍事力で負ける側は宣伝力でも負け、結局はどちらもカネである以上、マスコミを動員した物量作戦は大砲より強力ということがあり得る。

実際の差はそれほど大きくない
 一応純粋な方法を書いてみたが、実際にはどちらに純化した方法もとれないだろう。
 たとえば左翼の方法は、ドクトル・ジバゴの中で農民たちが「レーニンって誰だい?」「新しい王様だよ」と語るが、もし民衆がそのレベルであった場合、しかもドイツ軍がそこまで迫っていて、国民の命の危険があるような場合には、必ずしも民主的な方法などといっていられない場合がある(たいてい革命が起きるときというのは「・・・などといっていられない場合」が多い)。
 右翼的な方法で、一部のエリートたちが決起するとしても、その志士たちの間では徹底的に討論が行われるのであり、ある程度教育レベルが上がって討論に参加できるものが多くなった場合には、だんだん民主主義に近づいてくる。さらに、仲間たちの間で「少数の者による決起」という合意は通常得られなくなってくる。
 従って、自分たちの思うところを人に訴えて合意を形成していく以外に方法はなくなり、民主主義を基本的なところで否定している右翼であっても、ほかの政治団体と大して変わらない行動になってしまう。
 結局、右、左が本来的に似ているというよりは、社会の情勢においてとれるオプションが、ある程度限定されてくるということだろう。
 そして、実はそのあともあまり変わらない結果が待っているかもしれない。

結末----プラトン「国家」は右翼思想の源流
 仮にいずれかの「改革」が行われたとして、右翼的な見解からは、民主主義に対してネガティブである以上、統治エリートによる王政または貴族政のような形態になる。
 それでも腐敗の問題は生ずるから、また同じ社会になってしまう可能性は非常に高い。プラトンの「国家」では、統治エリートは生まれつき体の中に「金(きん)」をもっているから、金銭的な欲を持たない、としているが、それは話としては面白いという程度になってしまう。
 仮に、為政者がそのような「高貴なる義務(ノブレス・オブリージュ)を果たす保証でもあるなら、この仕組みはそれなりに機能する。
 ところが、このシステムがうまくいって、もし人々が十分な教育を受け、自由に議論ができるようになれば、貴族政に近い統治制度はどうやってもとれなくなり、次第に民主主義社会に向かう。
 そうすると、統治エリートたちは、自分たちの正統性を選挙に求めるしかなくなるが、そうなれば優れた人間というより、マスコミにとって操り人形になりやすい人間が必然的に選ばれ、元の木阿弥となることもありうる。
 結局再度市民革命あたりからやり直すという、ひどい結果になる可能性もある。しかもこういう道は毎回流血である。

結末----治者と被治者の自同性の可能性
 その点、左翼的な方法で、最初から民主主義を目指し、権力者をなくしていった(治者と被治者の自同性)場合、理念的にはよさそうだが、「船頭多くして船山にのぼる」という状態になり、統治が非常に困難になる。現代社会は相当な事務量があるから国家経営が回らないのだ。
 結局、マスコミを握った独裁者がカリスマ的にかなり強大な権力を得て、都合のいいことだけ国民投票を多発し、最悪の統治になる可能性がある。

所与の条件が両者を近づける
 どうして両方とも同じ社会になってしまうのだろうか。それは、結局現代の社会がそれを要請してしまう、ということだと思う。

 一つは、官僚制との関係だ。
 現代社会は、経済運営、一定の福祉の必要から、日々の行政をきちんと回転させる集団が必要で、そこに情報が集まっているから、その行政集団との力関係が問題になる。民衆から支持されて、支配者になっても、その行政集団をコントロールできないとうまく民衆にパンを与えられない。民衆の支持は、その時にカネのある集団が、行政集団の持つ情報と結びついて、圧倒的宣伝力でマスコミに流す可能性が高いから、結局政権交代で操り人形のような人間が支配者になりやすい。
 もう一つは民主主義との関係
 「昔は民主主義がなく、今はある」と思う人は、社会の時間に先生の話をよく聞いていた人で、それは立派だと思う。
 実際には昔も今も何らかの形で民主主義はある。最悪の独裁体制でも、民衆の支持がなければ運営できないし、表面的には民主化されている体制でも、民衆の意思とかけ離れたことが「国民の意思によって選ばれた大統領」によって実行されていく。
 現代だけが民主主義に見えるのは、印刷も放送も発達しているから、同意と服従と合法性を調達するには、表面的に民主主義を取っているように見せなければならないだけ、ともいえる。そうすると、煽動する力を持つものだけが権力を維持できる。基本的にはカネ、ということになるしかない。
 結局、民主主義、国民の福祉の必要、マスコミの発達という所与の条件を考え合わせると、右翼的な方法、左翼的な方法とも同じ政治形態に戻っていく可能性が高い。

希望はない?
そうなると右翼も左翼も希望がもてない、というニヒルな結論に陥るだけで、何にも知らないくせに「左翼も右翼も一緒だよ」とか「誰がやったって変わらないよ」と、知ったようなことを言うオッサンと同じになってしまう。しっかり考えたことがより強固なニヒリズムを生むのか、もちろんそうではないと思う。
 先ほどの右翼、左翼の理念型通りに、破滅の分かり切ったコースをとる、というほどどちらの指導者もバカではない。だから上の批判はそのまま当たるわけではない。私の言いたかったのは、出発点における心情にしても、その後のコース、そして純粋に突き進んだ場合の結果とも、それほど変わらない、ということで、両方の者がそれぞれの欠点を認識し、ともにより良い道を考えていかなければならない、両者ともそのことはわかっているはずで、そういう意味で共通の基盤がある、ということだ。

 ところで、私が思うに、今の体制はまさに上に書いたジグザグに進んで最悪の体制になっている、と思う。たとえば、田中派のリーダーシップで、最低限所得分配機能を果たそうとしたら、それを右翼的手法で蹴落とし、国民投票(実際には負けている)で国民の同意を調達したかのような左翼的手法で国を売る、つまり、それぞれのの悪いところを純に、じゃない順につかって、最悪のアリ地獄に落ちた体制、それが今の日本であるように思う。

 だから、両者は協力できる、ではダメだ。協力していかないと。
 ただ、何となく最悪のシナリオばかり書いたので、次回(結局第5回になりました)はそういう中でどういう考え方があるか、考えてみたい。
第4回へ>
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by luxemburg | 2005-11-18 07:56 | 右翼とか左翼とか
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