とりあえず、のブログです
by luxemburg
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さすがにthessalonikeさんが共産党の党名問題について書くと反響がすごいようだ。
党名問題は、昔から何度も出ているところで、私も以前のエントリーでちょっと書いた。 STOP THE KOIZUMIがなければ、特にコメントすべきようなこともないのだが、今回は若干険悪なムードがあり、「ほらほら内紛があるみたいだよ」と喜ぶ人が出ないように、ちょっと書いておく。特に共産党及びその支持者で、ブログ同盟に批判的な人は考えてみて欲しい。 共産主義は負けたのに、未だに共産党の人っておかしいよね、というのが日本人の多くの意見ということになっている。thessalonikeさんはまるでその意見に乗っかるように書かれているので、日本共産党の人には、とまどいが生ずるのだろうと思う。 ちょっとおさらいしておくと、共産主義というのは以下のストーリーによっている。 共産主義とは 人間というのは本来「善なる存在」で、元々は平和に、協力的に暮らしていた。そこにいろんなやつが現れて「時間を貯金しませんか」(ミヒャエル・エンデ『モモ』)「『この土地は私の土地だ』と宣言してみませんか」(ルソー『人間不平等起源論』)、そして「その権利を守って欲しいでしょう?今は悪いやつが多いですからね、お金を払えば私たちがセキュリティーを提供しますよ」という形で、制度、暴力、権力、国家が現れてくる。テロリストがいるように見せかけて金儲けする人間も同じ人種といえる。本来、人間は平和的で、実はそういう人為的な制度はいらない(エンゲルス『家族・私有財産及び国家の起源』)。 ただし、こういう「黄金伝説」的ユートピア主義、桃源郷伝説は、昔からいくらでも存在した話だ。その空想的なユートピア主義を乗り越えて、人間を汚した価値観を生み出すものを3つの観点から解明、分析し、より高次な段階で実現しようとしたのが「科学的社会主義」とされる。 当然そういう考え方は、「セキュリティー提供マッチポンプ勢力」からはじゃまなので、各種の妨害が入る。だから、何らかの指導をする革命家やその集団が必要となる。さらに、共産主義に至る過程はそういう妨害のせいもあって必ずしも平和的ではなく、いったん「手術」が必要となる。それが「プロレタリアート独裁」という段階とされている。やがて、手術がすむと落ち着いてだんだんに「国家の死滅」に向かうことになる。 ※ 何度もいうとおり、共産主義というのはどういう制度なのか、国家の死滅後の世界なんて、ノストラダムスの大予言後の世界(よほどこちらの方がていねいに説明されているくらい)みたいなもので誰にもわからない。レーニン自身もわからないし、そもそもマルクスにも明確な像はなかった。 大手術への抵抗 いずれにしても、次の段階であるとされる「プロレタリアート独裁」という大手術に対しては最初から非常に抵抗が大きい。① その手術に耐える体力というのはどの程度なのか、相当成熟した社会になってからでなければできないのではないか、② その手術中に息の根を止めようとする干渉戦争が生じたらどうするのか、最初は革命だったのに、ナポレオンの独裁のようなことになって失敗するのではないか、という問題はつねに突きつけられてきた。 だから、そんな手術なんてしなくてよい、いきなり人為的な制度を廃止すれば、明日からでもちゃんと人間はやっていけるんだよ、それくらい「善なる存在」なんだよ、という「無政府主義」もある(日本ではけっこう支持者が多く、社会主義からむしろ無政府主義者に変わっていくひともかなりいたようだ。なんだか日本人はとても穏やかな人たちなんだ、と改めて思う)。 「手術は大したことないんですよ」とごまかす人もいる。プロレタリアート「独裁」(ディクタトル)をプロレタリアート「執権」(コンスル)に書き換えるなど、けっこうこそくな方法をとりたがる。こういうやつ(誰のことだかはあまり言いたくない。エンゲルスも、こういう人間には「独裁」という言葉はいい薬だ、というようなことを言っている)がもっとも信用ならない、と離れていく人たちの方に説得力がある。 手術しちゃったロシア革命 レーニンは、①、②のような難点があるもっとも不向きなロシアでそれを始めざるを得なかった。マルクス主義のオーソドックスからかけ離れたものとならざるを得なかった。 結局のところ、邪魔も入ったし、むしろ「手術中の独裁体制」がそのまま固定化してしまった、というふうに見ることもできる。そうなればかえって危険な考え方にもなりうる。それでも、ツァーリ時代のロシアよりはるかによくなったのか、もとが悪すぎただけによくわからない。最近東ドイツの人たちが左翼党に期待することの解釈も含めてとても難しい。 いずれにしてもその体制は、ひっくり返った。 ここまでがおさらい。 で、thessalonikeさんは、もはやそういうマイナスイメージがついた「共産主義」を掲げることに今の日本の運動論として問題がある、としているものと思う。 グラムシ 手術が悪いのか、その後の経過に問題があったのか、そこでやっと「世に倦む日日」のグラムシにたどり着いた。アントニオ・グラムシは最初から大手術に反対だった。 グラムシは、資本主義の体制の中に「新しい秩序」ができ、それが次の体制を準備する、シームレス(ちょっと語弊があるが)に新しい社会に移行していく、と当初から考えていた。マルクスの弁証法的唯物論にある意味で非常に忠実と見ることも可能な考え方だ(異論もある。起源は歴史学者クローチェであるとする見解の方が有力)。 グラムシは、決して「改良主義」(体制内で改善を勝ち取ればそれでよい。たいてい裏切り者という意味で使われるようだ)ではなく、一種の「構造改革主義」者である。静かに、平和的に次の体制が育っていくと考える。 だから、「世に倦む日日」が、「グラムシ主義」とするのは、決して共産党の当面の戦略をみて「なんだ、実際には共産主義を捨ててるじゃないか」といっているのではない。レーニン的な方法はとっていないのに、レーニン、ソ連と結びつくような共産主義を捨てろと書いているだけだ。 再度日本共産党の方へ 党名は、外部の者がどうこういう問題ではない、とも思う。しかし、私自身組織に属していないが、多くの人々が「自分はもと党員だったけど、今は日本共産党の立ち直りを待って、それまでの間、○○同盟をやっている」というのを知っている。 政治献金も政党助成金ももらっていない、清潔な党(実は、三木武夫さんなどは、自民党にありながらそういう考えだった)だから、支持したい、という人もいる。そういう人たちを取り込んで欲しいと思うので、私は、戦争に反対してきた輝かしい歴史を持つ共産党は、公共の財産に近いものがあると思っている。 よくブログにもおためごかしにコメントしてきて、その実体は足を引っ張りたいだけ、ということもある。しかし、thessalonikeさんも私も、そういう人とは違うということを是非知ってもらいたいと思う。 ※ 共産党が二段階革命論であることは有名で、実はそれは戦前からの論争、起源はもっと古く、日本資本主義論争というあたりから問題になったところである。 thessalonikeさんがそれを知らないことは考えられず、共産党の当面の政策をみて言っているのではないだろう。グラムシの構造改革論をあげている以上、改良主義と区別していることは明確と思われる。 ※ 私が共産主義に懐疑的というのは、そこまで人間が「善なる存在」なのか、それを前提として運動を引っ張っていくことはどうなのか、わたしにはわからないという点である。
by luxemburg
| 2005-11-05 13:05
| 右翼とか左翼とか
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