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靖国参拝は違憲(大阪高裁判決)
大阪高裁は、首相の靖国参拝を違憲とする判決を下した。
大谷正治裁判長は、参拝が首相の職務として行われたとしたうえで、「国内外の強い批判にもかかわらず、参拝を継続しており、国が靖国神社を特別に支援している印象を与え、特定宗教を助長している」として、憲法の禁じる宗教的活動にあたると認めた。一方で、信教の自由などの権利が侵害されたとは言えないとして、原告らの控訴を棄却した。



日本の最高裁判所は、憲法を一度も、一条も守ったことがないといわれることもあるが、下級審レベルではときどきこういう勇気ある判決が出る。おそらくこの裁判長は、「裁判官は法を語る口でなければならない」という、当然の信念の下に判決を下したのであろう(憲法第79条第3項「全て裁判官はその良心に従い、独立してその職務を行い、この憲法および法律にのみ拘束される」)。
ただ、この国では人間として当然のことを主張するのにとてつもない勇気が必要だ。そういう意味で、この判決は当り前であるとともに非常に勇気ある判断といえる。

以前長沼ナイキ訴訟という事件があり、北海道の長沼町にミサイル基地ができるからと近隣住民が平和的生存権(前文)を主張して訴訟を起こすという事件があった。
札幌地裁の福島裁判長は、住民の訴えを認め、自衛隊が憲法第9条第2項に違反すると判断した。この判決も、日本語の能力のある当り前の人間が憲法を読めばどう考えても自衛隊と称する軍隊は憲法違反であるというだけのことであるが、その後この裁判長は、出世の道をたたれたといってよい。
なお、この判決のあと控訴審である札幌高裁の判事は多くが入れ換えられ、控訴審のための「御用判事チーム」ができたことも有名だ。

さて、今回の判決だが、靖国神社への参拝は「超自然的存在を畏敬崇拝する心情と行為」という宗教に該当し、その特定の宗教を援助、助長する目的効果があるといえる首相の参拝は宗教的活動にあたる。
 ただ、損害賠償となると実際には相当難しい。
 政教分離原則がそのまま人権であると考えるなら、それだけで人権侵害だから損害賠償とつながりやすい。しかし、政教分離に違反したから即人権侵害と考える見解は非常に少なく、原告たちがどのような損害を受けたのかと言われると、なかなか救済の道は険しい。
 そこで考えられた(と思われる)のは、政教分離に反する国の行為によって、自分は個人的に「宗教的人格権」を害された、という構成である。
 宗教的人格権は、国民一般として首相が靖国神社を詣でたというだけでは個人的な精神的損害を生ずることはないが、例えば熱心なキリスト教信者である妻が教会で静かになき夫と魂の交流をはかろうとしているのに、無断で靖国神社に合祀され、妻が夫の魂を汚されたと感じる、というような場合に問題となる。
 地方自治法で、この点をクリアする方法があるのだが、国家の行為については、政教分離を認めても、それを損害賠償までもっていくのは、残念ながら難しい、というのがまあ憲法の世界では常識というところだと思う。

 このように非常にまっとうな法解釈に基づいて下された判決とおもわれ、こういう優秀(能力という点もさることながら、プロ意識のキチンとあるという意味)な裁判官は国の宝と思われるが、残念ながら「愛国心」ある人々はこういう素晴しい人を評価することはあるまい。

昨日のtotoのことが気持ちの上で尾を引いているが、寄生虫がのさばり、まともな人が評価されない。
これからくる能力主義社会が勝ち組と負け組を作るからいけない、などとは実はこれっぽっちも思わない。能力主義、実力主義というのは虚構に過ぎないから問題なのだ。
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by luxemburg | 2005-09-30 15:35
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